「いいのかな……。“ヒアナ”だけでも。あれは精神的に不安定な部分が多すぎるよ」

「なぁに、気にするこたぁ無ぇさ。折角“おねーちゃん”と再会出来るんだ、悪かねーだろぉに」

「相も変わらず……貴方の考えはよく分からない」

「ははっ、忘れられたのもそのせいかもなっ!」


暗い空間に響き渡る、2人の男の声。
唯一の光源、とも云える前方の大型のモニターには、黒髪の2人の少女――――蘭咲美音と、御巫月愛が映し出されている。それを見た片方の男が、嘲笑を浮かべた。白衣を纏う、無精髭を生やした30〜40代であろう男だ。蛇のソレに近い、魔性を秘めた瞳が、モニターに映りこむ2人の少女を交互に見遣る。


「貴方の娘はまだいいけど……もう一人のあの子の方はどうするの?感受性が強過ぎるみたいだけど」


もう一人――――その精悍な顔付きや華奢な体系を見る限りでは、青年と喩えるべきか。彼は、怪訝そうに顔を歪めながら、白衣の男を横目で盗み見る。青年の視線に気付いたのか、男は“問題無い”、とでも言いたげに手をぷらぷらと振った。


「洗脳すりゃぁ問題ないさ。兎にも角にも、2人とも出来るだけピチピチの状態で連れて来て欲しいんだな〜……その点踏まえりゃロワに向かわせたのは失敗だったか、あいつはどうにもこう……凶暴で不器用で手に負えない部分があるからな、かっはははは!」

「……、……っ」

「教えてやるよ……近付けば遅かれ早かれ“トラペゾヘドロン”が共感するようになってんだ。まぁ実験してるとでも思えや。確実に俺らの理想は現実になってんだしな」


男の口調は軽快。しかし、その貌に今は表情が全く浮かんでいない。……その瞳に一瞬だけ、邪悪な焔が移りこんだのは果たして、青年の錯覚と言い切れるのであろうか。唾を飲む青年を嘲笑の眼差しで射抜きながら、男は踵を返して笑みを浮かべた。
吐き気を催す魔性の、笑み。
それは、その男は、嗤う異形――――



「さて……家出も此処ら辺にして早く戻って来いよ……俺も母さんも愛しい妹も。お前らのこと、首伸ばして待ってんだぜ……?家族揃っての大喜劇を始めようじゃないか。なぁ―――――“サツキ”、“カイゼル”?」



異形の、見つめる先。
そこに映し出されるモノ。
それは――――――――






Re/call 〜Emerald〜
第拾肆話 『闇の中で』






……汗の大雫が、顎を伝って地面に落ち撥ねる。
御巫さんと共に、廃墟の中を慎重に徘徊する。冬に近付いていると言うのに……それにそぐわない湿り切った生温く気持ちの悪い空気が、身体に纏わり付いている。むしむしとしていて、甚だ不愉快さを感じている。
最初はそう気にならなかったはずの2人分の足音が、静かな空間の中でやたらと大きく響き渡るように聞こえて来た。見つかるのではないか、と言う不安が込み上げてくるのを……認めざるを得ない。

戦力は、はっきり云ってゼロである。当然だ。人間2人、それもどちらも子供。デジモンに敵うとはとても思えない。無反動砲等、衝撃の少なく威力の大きいような武装があればまだ解からないが……そんなモノを持っているわけがない。選択肢は逃げて隠れて、相手の目を誤魔化すこと……これだけしかない。
デジヴァイスは電子音を鳴らしては居ないが、一つの光点を点滅させて、敵の居場所を正確に察知している。画面を見る限り、明らかにこちら側に進んで来ている。ゆっくりとしている暇は無さそうだ。画面に表示されたマップの縮尺を調節しながら、歩き続ける。

一通り探ってみたが、廃墟の内部は、思っていたよりも複雑な構造になっていた。割られた窓や亀裂の入った壁には薄ら埃が積もっており、地面を踏む時に聞こえる軋む音は異様に大きい。そんな環境下に広がるこの建物全体の通路は、階段やエレベーター(最も、動かなければ意味は無いのだが)がやたらと多い。学校の職員室並の大きさはあろう各部屋には大きな割れた窓で採光されており、どうも壁際は隠れるのに適していない。最後に残った最上階である5階まで進んだ私達は、慎重に歩み続ける。

そのうちに、御巫さんの手が微かに震えているのが理解った。……やはり、怖いのだろうか。
御巫さんの柔い手を、改めてギュッと握る。握られた手が、数秒の間を置いて私の手を握り返してきた。逃げ切るまで彼女のことを護り通す、と誓いながら彼女を見やる。
深くて昏い、蒼い瞳が私のことを見つめていた。不安げな表情を浮かべている彼女に、無理矢理笑顔を作る。それを見た御巫さんは……その口を、静かに開いた。


「なんで……」

「?」



「なんで私なんかを……助けようとするの……?」



その時、御巫さんの声色に――――私には喩え様の無い、悲しみに満ちた弱々しさが混じっているのを聞き取ることが出来た。静かに放たれた声。しかし、その彩は。何処までも、悲愴で……私の知る彼女と言う存在が、まるで霞んで見えていくかのような――――
……詮索は……無意味、か。
少なくとも、私が知るところでは無いと思う。彼女についてこれ以上探究するのは止めておこう。
気を取り直し、御巫さんの問に答えようとして、私は今更そんなことを考えたことが無い、という事実に気付く。結局のところ、誰かを助けたいと思う気持ちには理由なんか要らないと言うことなのであろう。はぁ、と一息吐いてから、私は口を開いた。


「御巫さんと――――知り合ってしまったからです」

「えっ……?」

「深い理由はありません。助けたい、と思ったから助けた……それだけのことですよ」

「……」


感じるものがある。……好ましくないことに、その正体は殺気だ。認識したからか、ハッキリと敵が迫ってきていることが手に取るように理解る。生憎と、今進んでいる方向に隠れやすそうな場所は存在しない。ふむ、少しだけ急いだほうが宜しい様だ。少なくとも、丁度よく隠れられる場所が見つかるまでは。


「急ぎましょう」

「……、……うん」


窓際を見れば、天候は何時の間にか悪しき方向へと変わり果てていた。青空は灰色に塗りつぶされ、しとしとと、小雨が降っているのが理解る。全く、好きになれない天気だ。まぁ、降ってしまっているモノは仕方が無い。
私は、御巫さんの手をしっかりと繋いで歩く。
彼女の表情が、少しだけ和らいだのを確認して。




《同刻》




同じ建物に、目標は居る。しかし、迂闊に手出しは出来ない。そしてこの場は――――相棒である異形が戦うには、少々狭すぎる。複雑に入り組んでいる通路を異形の背に跨りゆっくりと進む。


「もう、すこしで……つかまえられる」

「ガゥッ」


少女の呟きには、先程までとは違い、確かな感情――――歓喜の彩が、含まれている。今は、今だけは。少女はその歳相応の、可愛らしい本当の意味での微笑を浮かべる。それを見た異形が――――まるで促す様に、こくりと頷いた。漆黒のデジヴァイスを握った手を胸に当てながら、少女は待ち焦がれるかのように眼を閉じる。


「…………ぱぱ、“ごほうび”、くれるかな……」


……胸に秘めた、僅かな期待。
望むのは、それだけ。しかし、幼き子供というモノはそんな小さな望みを叶える為に、全力を尽くすという性質を持つことが非常に多い。少女の場合も、例外ではない。『ご褒美が欲しい』。そんな理由から、今の任務を確実に遂行しよう、と。本気で挑もうとする。
そして、改めて集中しようとし――――


「……ッッ!!!」

「あっ……」


一瞬にして少女の思考を灼いたのは、風を伴って肉を裂く斬撃音か。突然苦しみだした異形のためか。それとも、苦しみだした異形に振り落とされる自分自身に気付いてしまったためか。考えることを中断し、不恰好な形ではあるが巧く着地する。少女は、混乱する思考を無視し、先ずは異形を見つめる。


「?」

「ギィッ……!!」


デジヴァイスを経由し、ダメージによる破損個所のチェック。右翼、小破。この程度であれば、通常は自己修復の範囲で止められる……が、傷口を覗けば、その周囲が少しずつ『腐蝕』していることがわかった。これでは、自己の力のみでの修復は無理だ。
敵は一体何処からやってきたと言うのか。全くを持って探知出来なかった、と。少女はそんなことを認めつつ、前方を塞ぐ二つの影に視線を向ける。異形もまた、前方を見やった。豆電球を光らせたようなその輝く紅い眸に、殺意が込められる。


「……間違い無い。彼奴らの送り出した刺客だ」

「…………」


一つは竜型――――白い体毛に地面を踏み締める四肢は、或いは狼とも云える。刃金の翼、そして蠍の様な先端に鎌刃を持つ尾。少女は『組織』内でも、この様なデジモンを眼にしたことは一切、無い。新種、と判断しても何ら問題は無さそうだが。理解らない。
一つは人間――――否、その気配は人間の放つそれよりも遥かに濃密。人間に化けているが、その正体はデジモン。その手に持った戦槍は、たった今自身の相棒である異形を切り裂いたものか。如何なる敵にも屈さぬ、しかし何かを恐れる戦士の眸が少女を捉えている。

竜型には反応を示さなかったが、人型の方にはデジヴァイスが反応を示した。しかし、データの展開手順が通常とは異なっている。少女はデジヴァイスが読み取り、表示したデータを確認して――――多少の驚きを、その表情に浮かべる。


「あんのうん、いったいをかくにん。そろもん72ちゅう43ばんま、『さぶなもん』をかくにん。じょうきょうはんだん、こうどうせんたく――――てきのハイジョにうつる」

「グルァッッッ!!!」


異形の咆哮は、少女の状況判断の発言と共に。
圧倒的な邪気を纏いながら、前方の2体に襲い掛かる。
竜型が、一歩、二歩と前に進む。しゅりんっ、と刀が鞘から抜かれるかの様な音を立て、剣翼が大きく扇状に展開する。その瞬間、雄叫びと共に竜型は異形へと飛び掛った。

――――衝撃が、通路全体を震わせる。


「お前はあいつの元へ往け、此処は俺が!」


竜型が、人型に対して視線を向けずに叫んだ。人型は一瞬だけ躊躇いを見せるが、すぐに頷いた。ぶつかり合う2体、そして少女をも通り過ぎ――――駆ける。数秒過ぎ、少女がようやく人型が自身の真横をすり抜けて往ったことを認識する。速すぎて、何が起こったのか分からなかったのだ。
その間にも、竜型が猛威を振るう。


「フリーズブラストッッッ!!!!」


開かれた顎。其処から迸る――――極々低温の、必滅たる吐息。全ての命を氷塊地獄へと誘う、絶対零度(アブソリュート・ゼロ)。異形は素早く身を退くが、間に合わない。まともに浴び、下半身が完全に凍りついた。そこで勝機を見出したのか、竜型が爪と翼に冷気を纏い、突進する。
繰り広げられる、斬撃の嵐。異形は辛うじて致命傷を防ぐが、切り裂かれた部分から徐々に徐々に凍結していく。このままでは、時間の問題だ。グゥゥ、とあからさまな憎悪が篭った唸り声を上げる。


「……、……いたい……」


少女とて、例外ではない。竜型の吐息は異形だけに飽き足らず、少女をも侵蝕していた。足元が僅かに凍りつき、左腕に霜焼けが出来てしまい、寒さで顔色が徐々に徐々に青褪めていく。しかし、そんなことは少女の気にするところではなかった。
目標及び、それを護りに向かったのであろう先程の人型を追わなくてはならない。しかし、目の前に立ち塞がる竜型が非常に目障りだ。少女は、辛うじて霜焼けを免れた右手に、デジヴァイスをしっかりと握り締める。漆黒に染まったデジヴァイスの画面から、圧倒的な『闇』が迸る。そして、デジヴァイスから放たれる闇を全身に浴びる異形。竜型が、何ごとかと言わんばかりに地を蹴り、素早く後退した。距離が開く。


――――じゃまなのは、ぜんぶ、けしてしまえばいい。


淡い、澄み切った幼い心に秘めた想い。
純粋な想いが――――純粋な、殺戮の力を生み出す。



「……しんか。『でくすどるぐれもん』。せんとうぞっこう」



少女の声と共に、異形の姿が変化し始めた。
竜型の表情が――――戦慄によって歪められる。




《同刻》




「きゃっ……!」

「……っ!!」


建物が揺れだしたのは、突然だった。物凄い爆音と共に、激しく揺れる。大きくバランスを崩した御巫さんを庇いながら、一緒に伏せる。元々割れていた窓ガラスがバリバリと砕けて吹き飛び、内側の壁にぶつかってから、私達に降り注いだ。……立っていたら、あれが全て突き刺さるところだった。冷汗が伝う。
周りでは何か大きなものが倒れるような音やら何やらが騒がしく鳴り続けていたが、やがて、揺れが治まってそれらの音も静まる。他の破片が突き刺さらないように注意しながら立ち上がり、服の端を摘んで数回引っ張り、ガラスの破片を全て落とす。結構な量があったが、割と綺麗に落ちきってくれたものだ。御巫さんにも、同じようにしてあげた。が、服の材質からして、こちらは落とすのに少しだけ時間を要した。


「脱出した方が良さそう、なのですが……」

「……どう、するの?」

「さて……それが難しいですね。地震とは違うみたいですから」


……激しい揺れにも関わらず、窓枠を通して見つめる、外に拡がる町は――――全くと言っていいほど静まっている。地震が起きた際に起こる大きな混乱と言うモノは、決して避けられないのだ。これはどうすることも出来ない、人間の根本的な性質にある。突然押し寄せる災害に対し、すぐに冷静になれる人間など、ほんの一握りに過ぎない。
この静まりから察するに、どうも街が揺れているのではなく、この建物全体が大きな衝撃、或いは爆発等の影響によって生じたエネルギーによって激しく揺さぶられたと推測しても、強ち間違いは無いかと思われる。


「ここは最上階。地上との距離・私達の身体能力を計算する限りでは、飛び降りて着地するのは……まず不可能と言って宜しいかと思われます。構造上――――崩れる可能性が高いので、階段を降りると言うのは危険です」

「えっ……それじゃぁ……」

「いえ、決して此処からの脱出が不可能、と言うわけではありません。緊急時の避難用に梯子があるはずです。それを使えば、或いは安全にひな…………〜〜〜くぅっ!?」


言葉は、続かない。いや――――続いていたとしても、たった今、この場を襲い掛かってきたその圧倒的な爆音によって、完全に遮られてしまっていたであろう。天井に壁に床にまるで早送りした映像でも見るかのように、物凄い速度で亀裂が走って――――崩れ落ちるっ……!?


「御巫さんッ!!」


咄嗟に、御巫さんを庇う。……これで、守りきれるとは到底思えなかったけれど。でも、何もしないで……というのは、流石に私には出来ない。彼女を、守らなくてはならないから。そう、自分で決めたから。来るのであろう絶望的な衝撃、そして重量に対して眼をぎゅっ、と瞑る御巫さん。……大丈夫、貴女は決して死なない。死なせない。絶対に、生き延びてもらう。

ピシピシ、ドガドガという音を鳴らして。その直後に、まるでお約束と言わんばかりに、無数の巨大な瓦礫となって天井が崩れ落ちる。……どうにも、避けられそうに無い。生き延びたところで身体に重傷を負う事は免れないであろう。重症を負った状態で、この状況下から脱出することは可能か……答えは否。いずれにしろ、結論を挙げれば死ぬ。
でも、いい。御巫さんだけ護れれば……。


「……美音ちゃ…………きゃっ!」

「ッッ!?」


……横殴りに、腰に何かがぶつかったような軽い衝撃が伝わる。そのまま脚が明らかに床から浮き、まるでテレビのノイズみたいに視界がぐちゃぐちゃに揺れ、瓦礫の粉砕音が耳に何度も何度も響き渡る。私は助かった、のであろうか?何が起きたのかさっぱり理解らない……いや、それよりも……御巫さんは!?


「……ニノ……!」


思わず叫びそうになった矢先、粉砕音に紛れて聞こえた……御巫さんの、驚いたような声。良かった。どうやら御巫さんも無事、なようだ。そして、私は――――腰に、何か暖かいものが触れていることに気付く。それが何かを確かめようとして。いきなり、視界に雨の振る灰色の空が広がった。
数秒して、また軽く衝撃。眼下に、雨によって湿った色に染まったコンクリートが広がる。どうやら、別の建物の屋上に移ったらしい。何故だか分からないが、それを理解することが出来た。


「……大丈夫か」


……私の真上から、声。思わず、首を上方に向ける。


「…………む?」


金髪に、碧眼の……青年?
精悍な顔付き、とでも言うべきか。白肌の美顔だけれど、決して女性だとは思えない。体系も細めだが、決して脆いイメージが無く、寧ろ私を抱く筋肉質な腕からは、屈強さすらも感じる。そして、何より驚かされるのが――――


「……貴方が、私達を……?」

「…………、……怪我はないか」

「はい、特には」


両腕に私達2人抱えて……あそこから、脱出したと言うのか?とてもでは無いが……そんな神業が、人間に為せるものなのであろうか?そう考えて――――私は、ふと気付く。
前例を挙げるとするならば、ロワだ。彼には完敗させられて、考えるだけで甚だ不愉快なのだが……まぁ、それは兎も角として。彼は確か最初に姿を見せた時、気配こそは隠せなかったものの、外見は完璧に人間の姿だった。そして戦闘時……彼は、本来の姿を曝け出した。

これはあくまで仮定であり、決して確信を持てる結論とは言い難いのだが。今現在、私の目の前に立つ、この人外染みた力を秘める青年。彼もまた――――デジモンなのではないか、と。私は、心の中で疑問を抱く。


「……貴女は……何なの、ですか?」

「…………俺は……」

「ニノ」


口を噤みかけた青年の後に続いたのは、御巫さんの声だった。青年に降ろして貰いながら、私は御巫さんを見やる。蒼い瞳が、青年のことを真っ直ぐに見つめていた。……ふむ、どうやら……この青年は御巫さんとの関わりを持っていると見える。恐らく、御巫さんが短く紡いだ言葉――――『ニノ』が、彼の名前なのであろう。気になる部分は多いが、今は全力で無視しておく。御巫さんに名前を呼ばれ、青年……ニノさんは、何故だか躊躇いがちな表情を浮かべていた。


「来るぞ……」

「えっ?」


ニノさんがそう言うと共に――――再び、爆音が空間全体を震わすかのように響き渡る。状況判断し難い環境下に置かれている。兎にも角にも、聴覚的情報は必要最低限揃っていると考えつつ、視覚的な情報を得るために、爆音の聞こえた方向へ顔を向ける。そして、私は絶句した。


「……これは…………」


私達が徘徊していた廃墟が、半分程度にまで、
り取られるかのように破壊されていたのだ。無数の瓦礫が、まるでスケール違いの雹のように地面へと落下し続ける。雨が降っていると言うのに、霧の如く舞う埃の類はなかなか視界を晴らしてくれない。
そんな中、埃を切り裂いて小さな影が、こちら側に向かってくるのが見て取れた。近付くにつれ、その輪郭がはっきりと浮かび上がってくる。検討できた身体の構成部品は、犬のような四肢に、竜が生やしていそうな羽、蠍みたいな尻尾。そして、白い身体に、無数の紅い刻み模様が付いている――――否、あれは……傷、だ。満身創痍の、白い竜のような狼のような……そんな、幻想的な姿をしたデジモンだ。


「あっ……ヴイーヴモンっ…………!?」

「……ちっ!」


御巫さんが、悲痛な彩を含んだ声色で叫ぶ。それに続き、ニノさんの舌打ち。味方側デジモンのようだ。ヴイーヴモン、と呼ばれた白いデジモンは、私達の居る場所の近くに、ガリガリと地面を削りながら着地した。近くで見ると、本当に美しい姿をしたデジモン、なのに……傷の数々と、夥しい流血が非常に痛々しい。今にも泣き出しそうな表情を浮かべる御巫さんが、すぐに駆け寄った。喉奥から血の塊を吐き出して、ヴイーヴモンがゆっくりと、告げる。


「拙いぞ……!“今まで”の連中とは……格が違う……ッ!」


……不意に、熱い突風が吹いた。いきなり、ということもあって。あまりの風の強さと熱さに驚いて、思わず足を滑らせて、硬い地面に尻餅を突く……、何と言うか、激しく痛い。しかし、そんな痛みも、目の前に広がる“脅威”と比べれば――――ほんの、些細なものにも過ぎなかった。

突風によって、埃が綺麗さっぱりと消し飛ばされた、瓦礫の山となったその場所。空間が僅かに歪んで見えるのも、水滴が瓦礫の上に落ちた瞬間にじゅぅ、と蒸発するのも……瓦礫の数々が地面に衝突した際に、運動エネルギーから変換された熱と、爆発により発生した爆熱が合わさったからであろう。
そして、そんな灼熱の空間の中心に。



――――その黒き巨躯は、君臨する。




「キシャァァアアアアアッッッ…………!!!!」



猛禽のように、高らかと咆える……喩え様の無い、その、悪魔を模したかのような姿。
稲妻型の鋸刀を備えた、鋼鉄の仮面。刺棘を無数に纏った、鮮血色の翼。抉るための鋼錐を生やした、触手のような尾。……胸糞悪い冗談のように、体中に無数の兇器を鏤められた、『殺戮』の権化たる、竜型。


「……でくすどるぐれもん。こうげき、かいし」


どこからか、幼い声が聞こえた。
その言葉と共に、巨竜――――デクスドルグレモン(仮定、だが)が咆哮する。数刻もしない内に、デクスドルグレモンの周囲に、紫色の電撃が無数に迸った。戦慄くほどの殺意が、こちら側に向けられる。ヴイーヴモンが、忌々しげに舌打ちをした。傷だらけの身体を、犬の如くぷるぷると震わせて……次の瞬間、その体全体が目に見えるほどの冷気で、包まれる。


「ニノ!」

「……ああ!」


ニノさんにも、ロワ同様、その身体に変化(実際に変化するその瞬間は見ていないのだが)が現われる。
白肌が次第に青褪めていき、終いには、蒼白く変色する。何時の間にか一振りの戦槍を右手に執り、歪んだ口元から、猛獣を連想させる様な大きな犬歯が覗けた。そして、体中の筋肉がびきびき、と膨張し……刹那、激しい閃光を身体から放った。
光が治まった時には、ニノさんの身体の変化は既に完了していたらしく。鬣を靡かせる獅子の頭部と、馬脚を思わせる下半身が特徴的な、獣人のような風貌に成り果てていた。『ソロモンの小鍵』に記載されていた、サブナクと言う悪魔の姿にも似ている。
やはり、ニノさんも……デジモン、なのか。

ニノさんを背に跨らせながら、ヴイーヴモンが告げた。


「いいな、二人とも。俺達があいつらを足止めする、だからその間に少しでも遠くへ逃げろ!」

「で、でもっ……」

「……大丈夫だ。俺達は、負けない」


肥大化した、蒼白い手で戸惑う御巫さんを撫でながら、ニノさんは私に眼を向けた。突然のことで、少し驚く。


「……名乗ってもらえないか」

「蘭咲……美音、です」

「…………美音。月愛を、頼む」


有無を言わさず、其れだけを言い残して。ヴイーヴモンは、ニノさんを乗せたまま翼を広げ、飛翔。デクスドルゴラモンに向かって行った。……イレギュラーなのは私だけな気がしなくもないが、今は全力で無視する。
御巫さんを、見やる。


「…………」


少しだけ戸惑いがあるかのように見えるが、気にしている場合ではない。ヴイーヴモンが言うとおり、私達は避難した方がいいのかもしれない。どのような状況であれ、私達(いや……正確には、御巫さんか?)を護りながら戦うのは、負担が大きいかも知れない。私は、御巫さんの手を取って、走ろうと――――





『お――ゃん―――……ひ――ち、ずっ――い―――……?』




「……ッ!?」




『止―りま――!!ヨ――トー■ン、な■■じく■うへ■――つづけ――■■、こ■い―■■■、■■か――、も■ませ――!!』




「うっ、くぅ……!」

「美音ちゃん……?」




『■――■■!!――■■■――■―■■――■―■■!■■■■――■■――!』




「ぁっ……ぐぅぅっ……うぅ、ぁぁぁっ……あ゛あ゛あ゛ぁぁぁあああぁあぁああぁぁぁああっっっっ?!?!??!」

「みっ……美音ちゃん……っっ!?」



…………、…………心配してくれる、御巫さんの声は遠くに聞こえ――――気が、狂いそうになる。

いきなり、だった。何故か……何故かは分からないが。胸の奥で、聞き取れない言葉が何度も何度も跋扈する。其れと同時、脳髄に焼鏝でも押し付けられたかのような、激しい熱さと痛みが襲い掛かってきた。思わず、頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。抑えたいのに、絶叫が止まらない。止められない。
――――痛くて、熱くて、苦しくて、抑えきれない絶叫をあげていると言うのに。何で、頭の中で私はこんなにも冷静で居られるんだろうか。それが、自分自身非常に気持ち悪い。


「美音ちゃんっ!美音ちゃんっっ!!!」


視界が、やがて色彩の認識機能を失っていき、ごちゃごちゃと混ざり合って、ワケが分からなくなっていく。感覚がおかしくなる。激痛が限界を超したのか、痛みはやがて薄れて代わりに吐き気がどっと押し寄せてくる。暗くなっていく、視界。意識が、薄れていくのがわかる。抗いたいけれど、抗えない。
意識を手放す前、最後に見えたものは――――




眩く紅い光を放つ、デジヴァイスの画面だった。




《数刻後》




「なぁ。言ったとーりだろうがよ」

「まさか……本当に、そんなことが……」

「……実験は成功した。へっ、チェック・メイトってやつだ」


変化を起こしつつある戦場を、画面越しに見つめている二人が、それぞれ表情を変える。青年は、まるで信じられない、といったようにぽかんと口を開けて。男は、さも当然とでも言うかのように、魔性の篭った不適な笑みを浮かべる。
そして、それは――――顕現する。






異変に気付いたのは、デジヴァイスが輝いた時。
目標を守るべく向かってくる2体に対し、必滅の攻撃を繰り出し続ける異形――――デクスドルグレモンの背に身を委ねていた少女は、画面から金の光を放つデジヴァイスを、手に執って眺めた。認識する限りでは、このような光り方は初めてだ。一体なんだろう、と思考を張り巡らせていた、その時だった。


「ギガッ……デストロイヤーッッ!!!!」

「えっ……?」

「キシャアァァアアア……!!」


デクスドルグレモンの頭上で、何かが爆裂した。激しい衝撃に襲われ、少女はその軽い身体を少しだけ吹き飛ばされる。デクスドルグレモンの表皮を覆う黒い体毛にしがみ付いて、何とか耐える。見る限り、今の一撃は完全に不意打ちだったが、デクスドルグレモンに大したダメージは無いようだ。

原因を探るべく、周囲を見渡して――――
少女は、新たな敵影に気付く。




「……これ以上戦闘を続けるなら……俺も加わらせてもらうぞ……?」


上空を飛翔する、蒼の巨躯。翼から蒼白い光を放出して浮かび上がるその姿は、少女に軽い混乱を齎した。


Bメタルグレイモン。
目標の内の1人、蘭咲美音のパートナー。


何故、此処にアレが居るのか。
一体、何時から居たのだろうか。
少女には、分からない。分かるはずが無い。


そうして、理解不能のいきなり現われた脅威は。
同じく戸惑いを隠せない様子の味方2体を余所目に、翼から放たれる光の軌跡を空中に描きながら。漆黒の巨竜、デクスドルグレモンに斬りかかった。




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