「頂きます」


Bアグモンは、その時――――デジモンとして、少しだけ進化を果たしていたのかもしれない。人間から見れば些細なことかもしれないが、彼にとっては大きな進展となる。
目の前に置かれたカップ麺からは、香ばしい塩の匂いが漂っていた。半分開いた蓋から覗く、比較的ボリュームのある中身を見ていると、涎が零れ落ちそうになる。今、彼を留めるモノは何も無い。Bアグモンは、掌同士を合わせて目を閉じた後、爪と爪の間に箸を一本ずつ挟み、器用にも麺を啜り始めた。
無論のこと、美音が作っておいたわけではない。
彼が、自分独りで作ったのだ。


「……ふむ」


朝、早めに起きて美音と共に歯磨きと朝食を済ませた彼は、昼時までは決まってテレビを見ることにしている。美音からも提案されたことなのだが、テレビを見れば人間社会について、少しは学べるはずだ。新聞や雑誌などで勉強できればそちらのほうが手軽で良いのだが、Bアグモンは――――――日本語が話せても、日本の文字が読めるわけではなかった。彼が読めるのは、デジタルモンスターの文明において使われる『デジ文字』だけである。そして、美音に『デジ文字』は読めないし、当然書くことも出来ない。よって、音と映像(文字表示に至っては無視する方針だが)で物事を伝える手段を考えれば、テレビしかない。


「…………味が薄い」


何も知らないはずの彼がカップ麺を調理できたのは、テレビの番組でたまたまカップ麺を作る場面が流れていたからである。映像内の一通りの作業を見終えると丁度空腹感を感じ始め、台所を漁ってみたら、案の定……似たようなカップ麺が数個、出てきた。美音からは、『一応、冷蔵庫に味付けをした生肉を置いてありますけど、他に食べたいものがあればご自由にどうぞ』と言われてある。恐らく、これを食べても何も言われないはずだ。
「ヤカン」に水を居れ、囲炉裏に積んだ焚き木に向かってベビーバーナーを小威力で発射して火を点け、そこに「ヤカン」を吊るして湯を沸かし、沸いた熱湯をカップ麺の容器に注いで数分待つ。すると、映像で見たとおりにカップ麺が仕上がったのだ。
唯一の致命的なミスを挙げるとするならば、『容器の内側の線まで注ぐ』ということが分からず、必要以上、容器から溢れる寸前まで熱湯を注いでしまったという点か。


「御馳走様でした」


食べ終え、食前と同じように掌同士を合わせ、目を閉じる。この動作は、美音から教わったものだ。食材に対して感謝の気持ちと謝罪の気持ちを込めるということらしい。これも、勉強の内の一つなのであろう。
箸とカップを水で洗い、カップに至っては粉々に砕き、ゴミ箱の中へ入れる。やることも特に無くなり、居間にどっかりと座り込んだBアグモンは、何気なく窓の外を覗き込んだ。


「(雨、か……)」


先程までは晴れていたのだが、何時の間にか天候が悪くなってしまったらしい。美音が傘を持って行ったかが気になるが、仮に忘れたとしても、Bアグモンには何も出来ない。何処へ行けばいいのか分からないし、何よりも彼が外を出歩けば、それだけで騒ぎになってしまうからだ。
自然と、欠伸が出る。心地好い眠気が襲い掛かってきた。食後、すぐに寝ると牛になるという諺がある……と美音に教えられたが、実際になるわけではないらしいので、気にしないことにした。

居間の隅に積まれた座布団を一枚取り出し、半分に折り曲げて枕代わりにする。横たわると、布団の上とは違い、畳の独特の匂いがした。次第に、意識が深い闇へと落ちていく。そうして、Bアグモンはのんびりとした昼時を過ごそうとして――――――


――――――その『聲』を、聞くはめとなる。




『いやっ……助けて…………!』


「なっ……」


『ア、グ……モンッ……!』


何処から聞こえるか、全く見当が付かなかった。直接脳に響き渡るかのような、必死で切実な、命の叫び。Bアグモンは――――この声の主を、よく知っていた。だから、尚のこと驚愕を隠せない。



「美音……!?」




《思想》




恐怖を感じないわけじゃない。
そのことを、私はたった今知った。
人と言う種は。良く言えば、高みへ登ることを止めない。悪く言えば、その欲望は充たされることが無い。私が恐怖を感じない、と錯覚していたのは、それらの人間の性(サガ)が関与していたのだ。

何故、私が今までに恐怖を感じられなかったか。
答えは、随分とあっさり出されていたのだった。
ただ、それに気付かずにいただけ……。
つまるところ、恐怖を感じる程の恐怖ではない、と。


そして、今――――



私は、喩え様の無い恐怖と、遭遇している。






Re/call 〜Emerald〜
第拾伍話 『旧き印』






まるで、氷海の底へ投げ出され、そのまま沈むかのような……そんな、冷たい感触を体中に感じて、私は眼を覚ました。体中、真っ黒な空から降り注ぐ冷たい雨に打たれて濡れてしまい、動くのが非常に億劫だ。
鳥の啼声が、けたたましく響き渡る。鴉のそれとはまた性質の違う、なんとも風情に欠けるような騒音に近い啼声。あまりにも不快に感じたため、思い切り“黙れ”、と叫んだ。鳥はそのまま、ばさばさと羽撃き、木の枝を蹴り飛ばしながら飛んで行った。……木の枝?


「…………ここは……」


私は水を吸った制服を纏った、重苦しい上半身を起こして辺りを見回した。真っ暗闇に包まれた、背の高い木々の真下で、私は無造作に寝転がっていたらしい。制服に泥水が染み込んでしまっている。これは、クリーニング屋さんにでも出さないと、きちんと落ちてくれないかもしれないな。……いや、問題はそこじゃない。
一体、何故私はこのような場所に居るのであろうか。ずきずきと痛む頭を抱えながら、私は先ほどまでの光景を懸命に思い出す。ぐちゃぐちゃになった記憶と言う名の引き出しの中から、暫くして……漸く、その光景を浮かべることが出来た。

ヴイーヴモン、ニノさんが私達に逃げるように告げてから、デクスドルグレモンに立ち向かっていって……ニノさんから御巫さんを守るよう負かされた私は、彼女と逃げようとして……急に、頭が激しい痛みに襲われて、そのまま視界が暗くなった。……否。意識を失った、と云った方が宜しいのだろうか。そこから結論付けるとするならば、『夢を見ている』等が妥当な考えだと思うのだが、私はあえてその可能性を否定した。


夢、と言うものは一種の記憶の混在や過度な妄想により作り出される幻覚的擬似空間に過ぎない。記憶の混在ではここまでハッキリとした空間を作り出すことは不可能であり、過度な妄想ならば身体の感覚はここまでしっかりとは機能しない。そもそもにおいて、夢を見ている間と言うのは思考能力や判断力が著しく低下してしまう場合が殆どだ。『夢の中だけで、現実の中では起こり得ない超現象などを疑問に思わない』……理屈としてはそれ。だからまぁ、こんな色々と考えることなど出来やしない。よって、これは夢ではないと結論付ける。
だからと言って、じゃあ今居るここは一体なんなんだ、と聞かれて答えられる自信など無いが。


「…………むぅ」


さて、先ほどから冷静に現在の状況を把握しようと、視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚を総動員させて情報の収集を行おうとしているわけだが……理解らないことが多過ぎるわけだ。視覚は、闇夜の中で雨に降られる森を捉えて。聴覚は、ざあざあと降る雨音と、遠くから聞こえる吐き気を催す鳥の啼声を捉えて。嗅覚は、薄ら漂う血の臭いと、雨の匂いと、土の匂いを捉えて。触角は、前々回の戦闘で治りきっていない傷の痛みと、雨の無慈悲な冷たさと、凍えるような寒さを捉えて。味覚は――――別に何も感じるわけじゃなかった。咄嗟に、昼食に食べようと考えていた、食べ頃の焼けたお魚(この時期だと秋刀魚が望ましい)を想像して……口内、一気に唾液が分泌されたっぽいが。

……、……。


「……理解らん」


馬鹿みたく呟いてみるが……さて、本気で困った。
これから、どうしろと言うのだろうか。いきなり頭が痛くなって、意識を失って、気付いたら見知らぬ暗い森の中でただ独り。御巫さんも居なければ、ニノさんやヴイーヴモン、デクスドルゴラモンも居ない。誰か一人でも居れば、随分と気持ちが和らぐのだが……。
……、……。
そういいながらも全く焦りを感じない自分の、適応能力の高さに対して……少しだけ、気が滅入った。


「…………」


御巫さんのことを考えたら、気持ちが焦り始めた。彼女を守るよう、ニノさんから言われたことが鮮明に思い浮かぶ。思わず誰に向けるでもなくただ虚空を睨み付ける。ふと気付けば、爪が掌に喰い込むほどに強く握り締めた拳から、紅黒い血が滴っていた。我ながら、恐ろしい程に苛ついているようだ。同じように滴り続ける雨水と混ざり合い、血は紅い水溶液となって泥の地面を穢す。ここで、こんなことをしている場合ではないのに。何で、こんなところでのんびりとしているのだ。そんな私自身に、酷く苛ついている。


私は立ち上がり、デジヴァイスの画面を覗き込んだ。画面上を見る限りでは敵デジモンの反応は特に無い。時刻は、PM12:17の表示で停止している。恐らく、私が意識を失った瞬間の時刻なのであろう。確証はないが。
疲れてはいるが、歩けないわけではない。それに、何もしないで居る、というのは宜しいとは思えない。マップを展開しながら、木の根を踏み分けて……北へと歩むことにした。一方向に真っ直ぐ進めば、どこかに辿り着けるであろうという考えだ。とりあえず、何も出来ない現状を考えれば……これぐらいしか手立てが無いのだ。
歩き始めた時は、湿ったショーツや傷口に巻いた包帯が……肌に密着していることが酷く不快に感じられたが、ずっと歩き続けていればそれも大して気にはならなくなっていた。 






「……っ、くぅ!」


……これで、6度目。泥と木の根の地面は、非常に滑りやすかった。脚を滑らせてしまい、真正面から木の幹に額をぶつけてしまう。どしゃっ、と肉の潰れるような嫌な音がして、血が流れるのがわかった。脚も、擦り傷を作ってしまっている。たまらず、木の根の太いものに腰掛けて、傷口を手で押さえる。痛い。こんな状況下に居るものだから、非常に痛く感じる。暫く歩き続けているが、先があとどれだけあるのか……全くといっていいほど分からない。


「…………」


何というか、この森からは異常性をひしひしと感じる。常に誰かに監視されているかの様な……何だろうか、ずっと覗かれているかのような、そんな気がするのだ。それも……あらゆる角度から、だ。まるで、フラスコの中に居るかのような不愉快な感覚。
ホラー映画でよくあるこういう状況、他の人もこんな風に感じたりするのだろうか?等と。そんな、場違いなことを考えながら――――――私は、再び歩き出した。鳥の啼声が、一層強まったかのように思えるのは……果たして、気のせいなのだろうか。




「…………?」


歩き続けて、気付いたことがある。この場所には、命の気配が全く感じられないのだ。こうも鳥が多いというのに、餌であろう小動物や蟲が一匹も見当たらないというのは不自然ではないだろうか?地面の泥の中に手を突っ込んで掻き漁ってみたが、蚯蚓の一匹も出てこない。木々をじっくりと観察して見たが、どれもこれも果実の実るような種類ではない。いや、そもそも。――――――雨が降り続ける中で、こんなにも騒がしく啼く鳥類など居るのであろうか?


「……不愉快、ですね」


誰に聞かせるわけでもなく、適当にぼやく。
どうせ、こんな言葉を聞いているのは上空で煩く啼いている鳥達だけであろう。そう思って、立ち上がろうとしたその時だった。――――その、這いずる音が聞こえ始めたのは。




(ぐじゅる……ぐじゅるじゅる、ぐじょん……)


「……ッ!」


立ち上がって、足場に気を付けながら……“振り向かず”に先へと進む。しかし、意識しないうちに歩みはやがて、疾走へと切り替わっていた。脚を何度も滑らせかけながら、必死に前へ前へと進む。それにあわせて――――背後に纏わり付く“何か”が、粘着質な音を立てながらぴったりとついて来る。

唐突に、デジヴァイスを覗き込む。マップにデジモンの反応は無い。私のいる場所を示す光点と、東西南北を示す矢印だけが映し出されている。後ろから這いずり寄る“何か”には、全く反応を示さないようだ。それが逆に、喩え様の無い不安と混乱を心の中に招く。

けたたましい鳥の啼声が、更に大きく響き渡ってきた。耳を傾けずとも、一羽……また一羽と、次第に啼声が増えているのだ。夜鷹(ウィップ・アーウィル、或いはフレスベルグ)は魂を狙う……そんな御伽噺がなかっただろうか?
夜鷹の下劣な啼声で奏でられた狂想曲――――否、兇葬曲の中を、私は疾走し続ける。多分、追って来ているものに捕まれば、何もかもが終わる。背後より這いずるものに対して、全身の細胞一つ一つが、絶望すら伴った危険信号を発しているのだ。拙い。あれは拙過ぎる。何なのか知らないが―――――絶対に触れてはいけない、異形たる領域の存在……それだけが、確信めいている。

迫り来る脅威に対する不安と混乱を何とか押し止めつつ、ここ数日のことを振り返る。Bアグモン……いや、ドクグモンと出会ってから私の“平凡”な日常が、あたかも砂塵の如く崩れ去っていった。きっと、逃れたくとも……運命が、それを赦さないのかも知れない。
今更になって、考える。
何故、何故私なのだ?何故こんな理不尽な運命を――――私が背負い込まなくてはならないのだ?


(ぐじゅるっ!じゅぶるじゅぶぐじゅじゅっ!!)

「………………っ!」


這いずる音も大きくなる。明らかに、距離が詰められている。必死に走るが、引き離せない。理不尽が、私を喰らい尽くそうと牙を立てる。駄目だ、ここで逃げ切らないと――――。
走る。北へ、ということをも忘れて、兎に角走り続ける。恐怖だけが、私の心の中を充たしていた。逃げる。前方へ……右へ、左へ、上へ、下へ、或いはそれ以外の角度へ。致命的に狂いだした方向感覚も無視して、闇雲に逃げ続ける。


「にゃるしゅたんにゃるしゅがんなああぁぁぁぁぁああああぁぁぁあああああ…………!!!」

「あっ……うぁっ!」


――――血の気が引くのが、手に取るように理解る。木の小さく張った根の浮いた部分に足が引っかかり、躓いてしまった。ぐぎり、と足首から嫌な音が響き渡って、思い切り地べたに叩き付けられる。全身に、激痛が走った。何とかして、うつ伏せの状態から身体を転がして仰向けにする。


「いっ、痛……」


情けないことに、痛みのせいで涙がぼろぼろと零れ落ちる。押さえたい嗚咽も、押さえられない。足首は、骨折こそしてはいないものの、思い切り捻ってしまったようだ。痛みがあるだけで、動かしていると言う感覚が一切ない。
……痛みのせいで、私は大事なことを忘れていた。


「……あぁぁぁ……しゃめしゅしゃめしゅぅぅぅ……にゃるらぁぁあとぉぉぉてぷぅぅぅぁぁああああああ…………!!」

「えっ……」


目の前に、先程まで私を追いかけてきていた狩人が、その醜悪にしておぞましき姿を露にする。
ねとねととした緑色の、粘液で覆われた触手を束ねた四肢に……何かの術式が書き込まれた額を持つのっぺりとした頭部。体中にジャラジャラと鈍色に輝く鎖をぶら下げ、背中には、大きな蝙蝠に近い翼を生やしている。喩え様が、無かった。只管に、異形染みた姿。……その姿を、デジモンなのであろうその姿を見て――――私の心のどこかが、硝子の脆さを以ってして粉々に砕け散った。それと同時、またもや脳裏に激しいノイズが走る。



「うあぁっ……くっ、あぁぁぁあ……!!」



頭が痛い。涙が流れる。
体が痛い。血が流れる。
何かが砕けていく。反抗するだけの、気力がもう……出ない。何が何なのか――――何故、こんなことになったのか。さっぱり、分からない。何処で、何を間違えたのだろう。
よく分からない言葉、いや……人間のモノではないと断言できる言葉を呪文のように唱えながら、目の前の化け物の腕が伸びる。よく見れば、無数の触手を途中でベルトを締め付けて纏められた腕の先端は、蛇のような無数の竜型の頭部になっている。
それらが私の纏っているずぶ濡れた制服に噛み付いて……一気に、それを引き裂いた。驚く暇も無く、まるで露出した肌を包み込むかのように化け物が私に覆いかぶさる。生ぬるい化け物の表皮からは、濁った潮の様な腐臭が漂った。手足が、石の様に重く感じる。心臓が、爆発しそうな勢いで脈打つ。胃液が逆流し、口の中から溢れそうになる。


「いっ……いやぁ……!」


私は――――どうしてしまったのだろう。何で、何で目の前の化け物、いや……デジモンに…………ここまで、怖がっているのだろう。何なのだ、この化け物は。如何してここまで恐怖心を煽られる?ドクグモン・ボアモン・ダークドラモン・ロワ・キメラモン・デクスドルグレモン、と。様々な敵と遭遇してきたが、どれもこれほどまでの恐怖は感じられなかった。殺されそうになった、その時でさえも。
なのに……目の前の、このデジモンは。


私の理解を、超えていて――――


理不尽に、圧倒的に、絶望的に。脳裏の中の、私の知らないを『何か』を引きずり出そうとしている。目と鼻の先に、その澱んだ黄色い瞳を備える気持ち悪い顔面が広がった。べとべととした茶色の粘液が垂れ流しながら、茶色い舌が私の顔を這いずる。吐き気を催しても尚足りないほどの腐臭が漂う。
纏わり付く触手の束が、一斉に蠢き始めた。粘液を塗り込まれ、身体全体が揉み解されるかのような……背筋を凍りつかせずには居られない、本当に気持ちの悪い感覚。物凄い力量を持って両手首を頭の上で締め付けられ、無理矢理開脚させられる。動かしたいのに、身体の自由が全く利かない。

……理解っている。目の前のデジモンが、今、私に何をしようとしているのか、何となく、だけれど……それでもしっかりと、理解ってしまう。だからこそ―――――恐怖が、更に滲み出て来る。


怖い。たまらなく怖い。やめて……お願いだから、やめてっ…………!いやっ!怖い!怖い怖い恐い恐い怖い怖い怖い怖い怖い恐い怖いこわいこわい怖いこわい恐いこわいこわイ恐いコワイコワイコワイ怖いコワイコワイこワイ怖い恐いこわいコワイこわいコワイ怖いッッッ!!!!!
何っ、何なの……!?これっ……!




「にゃるらとてぷつがぁぁぁぁあ!!!しゃめしゅしゃめしゅにゃるらとてぷぅぅ!!!!」



「嫌ぁぁぁああああああっっっ!!!!!」



いや……!怖い……!!
こんなの、嫌……!気持ち悪い……っ!痛いっ!!
助けてっ、誰か……助けてっ……!!



「――――――ア、グ……モンっっ……!!」





《???》




「…………っっ!!!」


焦燥すら秘めた胸騒ぎが、眠り掛けていた意識を一気に覚醒させる。極端な不安を感じ、Bアグモンは家から飛び出した。しかし、何処へ行けばいいのか分からずに、立ち止まってしまう。静かに降っている雨が、Bアグモンの身体を少しずつ濡らしていく。
一瞬。ほんの一瞬、だったが……聞こえたものは間違いなく――――美音の、恐怖に追い詰められた悲鳴だった。一緒に居る時間がまだまだ短いとは言え、Bアグモンは美音という存在をある程度は理解しているつもりだった。如何なる局面においても決してその冷静さが乱れることは無く、自分を甘やかさないように努める、そんな芯の強い少女。だからこそ、先程の聲が信じられない。自身の知らない、美音の脆い一面が。

一体、彼女をここまで苦しめさせるモノは何なのだろうか。そもそも、何故あのような叫びがこんな時に聞こえるのだろうか。彼女は今、ガッコウに往っているのではないのか?途中で――――デジモンに、遭遇してしまったのか?その程度のことで取り乱す様な美音ではない筈なのだが。疑問が、山ほど浮かび上がる。


「ええいっ……!!煩い!!」


それらを考えてても仕方ないと判断し、Bアグモンは疑問を捨て去った。自身を怒鳴りつけ、気を引き締める。
助けなければ。美音が、恐怖の中で自分の名前を必死に叫んでいる。どうすればいいのか、全く検討が付かない。それでも、何とかして助けなければならない。蘭咲美音を、護り抜く。それがパートナーである自分の、貫くべき使命なのだから。


「くそっ!!どうすればっ……!!」


冷たい雨に打たれ、びしょびしょに濡れながら。
改めて、自身の無力さに嘆きを覚える。
蘭咲美音、という存在があるからこそBアグモンは戦うことが出来。Bアグモン、という存在があるからこそ蘭咲美音は戦うことが出来る。正しく、番が居なければ翔ぶことすら許されない、片翼の鳥同士なのだ。だから、揃わなければ戦うことは出来ない。

何か、何か方法は無いであろうか?美音を助け出すための、方法が。肝心の場所が解からない、というのが致命的だ。それさえ解かれば一つや二つ、何か打つ手立ても考えられるだろうに。せめて、デジヴァイスがあれば如何にか―――――
出口の無い、迷路のような思考に陥りかけた、その時。



「(……!)」



Bアグモンの脳裏に、閃くものがあった。美音が常に持っている、あのガンメタルの彩を帯びた小型機器。


――――デジヴァイス。


Bアグモンと美音を繋ぎ合わせるための『仲介役』であり、Bアグモンを進化させるための『鍵』。キメラモンとの戦闘において、彼女の声が脳内に響き渡ったことを思い出す。デジヴァイスは確か、美音の指示に関する思想をイメージとして直接脳内に送り込む……そんな機能を働かせていた筈だ。もし、先程の叫びが、デジヴァイスの伝えたものだとするならば。一瞬でも、自分とデジヴァイスがリンクしていたのであれば。


「(此方から、何か出来るんじゃないか!?)」


美音にデジモンの情報を送り込み、美音の意志を受け取り機能する。恐らく、これを送受の関係といってもおかしくは無い筈だ。それはBアグモンとて同じ。受け取った美音の意志をBアグモンに送り込んでいるのだ。ならば、此方の意志を受け取らせることも出来る筈。
確証は、無い。だが、この方法を信じるより他に、何の手立てがあろうか?それに、他を考えるだけの余裕も無い。Bアグモンは、この方法に賭ける事にした。

心の中で、強く願う。考えることは、一つだけだ。美音を、救いたい……と。ただ、それだけを願う。
電脳核(デジコア)が、烈しく燃焼していることが感じ取れた。美音を助けるという想いが、デジヴァイスへの強制接続(アクセス)をしつつ、それとはまた別により多くの情報を捉えようと、更なる力を得ようと。無意識の内に少しずつ、しかし苛烈な速度を以って肉体を、より強力な形に――――つまりは、進化させようとしているのだ。




「美音…………ッッ!!!」




――――脳裏に始めに見えたのは、暗く、雨の降り続ける森だった。視界の端に、体中傷だらけで、怯えきった顔の美音が映り込む。そして、その白い肢体を抱くかの様に覆いかぶさる――――黒い、異形。そして、雨の音と鳥の啼声と異形の唸り声と……美音の、悲鳴が聞こえ始める。

繋がった。接続、完了。
しかし、まだだ。まだ、足りない。
意識だけが、そちら側に繋がっただけだ。肉体がまだ、繋がっていない。この程度では、美音を助け出せるには至らない。更に強く、介入する。力み過ぎたか、目の奥や鼻の奥でブチブチッ、という音がなったかと思えば、鼻血と血涙がほぼ同時に流れ出始める。毛細血管が千切れたか。しかし、それでもやめない。助け出すための術を、編み出す。デジヴァイスとのリンクを、更に強める。その間にも、進化しようとするBアグモンの肉体は、何時しか薄らと淡い金色の光を発していた。

そして。



「うぉぉぁぁぁぁぁああああああ!!!!!!」



Bアグモンを中心に、地面に円陣が浮かび上がった。輪状にデジ文字の並べられた縁に、内側には電子回路を模したかのような紋様。それらが何の意味を表すものかは解からないが、それでもBアグモンには確信があった。これが、美音を助けるための手段なのだ……と。

円陣から、蒼白く淡い光が放たれる。その光は、デジヴァイスから放たれる進化の光と同様に思えた。其れが正しい答え、とでもいうように。次の瞬間、まるで連鎖反応でも起こすかの如く、Bアグモンの金色に光り輝いていた身体が―――――爆発したかのような、更なる輝きを発した。蒼白い光と金色の光が混ざり合い、翡翠色の光となって周囲を照らす。

溢れ出る光の洪水の中で、Bアグモンの咆哮が響き渡った。



「Bアグモン……進化ァッ……!!!」



光に包まれたその姿が、徐々に変化していく。
美音を、助けるため……より、強靭に。より、精練に。肉体が、更なる力を求め――――進化、する。



「Bグレイモンッッッ!!!!」



Bアグモン……否、Bグレイモンから放たれていた光が収まり始めると共に、今度は円陣から放たれる光が更に輝きの度を増す。そして、Bグレイモンを取り巻く空間そのものが、一瞬だけ酷く歪んだかと思えば――――――烈しい閃光を散らしながら、爆裂した。


爆発の後にはもう、Bグレイモンの姿は其処にはなかった。地面に浮かび上がった、円陣すらも消え失せている。雨を打つ音だけが、まるで何も無かったかのように静かに響き渡っていた。Bグレイモンは、そうして―――――時空を、超越した。超越し、辿り着く先で彼がやることは、ただ一つ。



美音を、救うことだ。





《???》





「しゃめしゅしゃめしぃああぁっぁぁあ!?!?!ぴぎぃぃぃぇえええええあああああああ!!!!!!!!」



――――、――――えっ?



最初……何が起こったのか、全然分からなかった。
ただ、気付けば体中を纏っていた生ぬるくて気持ち悪い、恐怖の対象となっていたデジモンの触手は全て消えていて…………まるで、雨に濡れて冷え切った身体を沸騰させるかのような勢いで、暑さが新たに纏わり付いていた。それは決して暴虐的なものではなく、あくまで優しく心強い……そんな、熱。

恐怖のあまり、何時の間にか閉じてしまっていた目をそっと開く。先ず初めに、物凄い光量が差し込む。最初のうちは眩しさ故に何が何なのかさっぱり分からなかったけれど、眼が次第に慣れ、十数秒で何とか見える様になった。そして、そこに浮かび上がった光景に――――私は、驚きを隠せなかった。


「……!?」


其れが何なのか、私には正直……解からない。
前方に、燃え上がる炎の『印』が浮かび上がっていたのだ。景色を微かに歪ませながら、まるで瘴気を祓う結界の様に、爛々と輝く。何故だろうか、結界に阻まれ……私から引き離されているデジモンのおぞましい表情に―――――憤怒と恐怖の彩が、浮かび上がっている様に思える。

中央に目玉模様の刻まれた五芒星(ペンタグラム)の形を成した炎の『印』は、金色の光を爆ぜるかの勢いで放ったかと思えば、デジモンを思い切り弾き飛ばしていた。距離にして大体15m程。木の幹に激突し、粘液を撒き散らしてそのまま動かなくなる。
……一体何が起こったのかは分からないが、痛みを堪えながらも、何とか立ち上がる。スカートのウェストにはめていた筈のデジヴァイスが、クリップが外れてしまったらしく、何時の間にか地面に落下していた。

拾おうとして其れに手を触れた瞬間、私は気付いた。


「……これは」


感じるものは、暖かく……何よりも力強い波動。
私の身体の中に、そんな何かが伝わってくる。恐怖で止まり掛けていた胸の鼓動が、妙に早く打ち始める。私は今、途轍もない恐怖に感情に駆られている……でも、そんな私を恐怖から護ってくれるかのように、胸の中に熱いものが充たされていく。

拾い、しっかりと手の内に治まったデジヴァイスから、突如として蒼白い閃光が放たれる。驚く間も無く、Bアグモンを進化させる際に放たれるものと同じ、その光は……前方に広がる五芒星の結界が放つ金色の光と混ざり合い、翡翠色の光となって闇に覆われた森を照らし出す。上空で私を嘲笑うかのように啼いていた鳥達が、まるで逃げ出すかのように一斉に羽ばたき、消え去った。……いや、実際に逃げたのであろう。
目の前に溢れ出す、『聖』の光に。



「―――――――ッ!」



翡翠色の光の中に画かれる五芒星の『印』。それが、烈しく形を歪ませ始めた。薇の様に渦巻き、しかしそれでも輝きを損なうことなく変化を続ける。暫くして、まるで限界が来たことを示すかのように――――――空間そのものが、目に見えるほどの物凄い衝撃波を纏って爆裂した。思わず、眼を瞑ってしまう。予想していた衝撃は、確かに強かったものの……転ぶほどの威力は持ちえていなかった。


炸裂する光に視界が灼かれ、眸を閉じていても視覚が麻痺していることが充分に理解った。数秒、回復に時間を要す。そして、目を見開いた先に……信じられないものを見た。



「あっ…………」

「美音……大丈夫か」




よく知る声で、喋った。
見紛うことの無い、その蒼い巨体。
兜から覗く金の瞳は、何処までも澄み切っていた。噛み合わせた牙の隙間から火の粉を噴きつつ、私を真正面から覗き込んでいる。私は、それを知っている。否―――――知らない、筈が無い。
私のパートナー、Bアグモンの進化した姿。如何なる脅威にも屈さずに抗う戦士――――Bグレイモン。突如現われたその姿は、しかし決して幻影などではなく……しっかりと、地面を踏み締め佇んでいた。



「何故……ここ、に……?」

「……お前を……護る、ためにだ」



――――――――っ。



「前に約束しただろ……お前は絶対、俺が護り通すって」



優しく放たれた、その言葉を聞いて……みっともないことに、静まりきっていた涙が、思い出したかのように溢れ出した。恐怖に対するものではなくて、嬉しくて……緊張が緩んだから。

無意識のうちに。私は体中の痛みを無視して、Bグレイモンに思い切り飛び付いて泣きじゃくっていた。その勇ましい表情が一変し、驚くと同時に少しだけ戸惑いの彩を見せる。そりゃぁ驚くだろう。何せ、私自身が自分のしていることに非常に驚いているのだ。多分……否、絶対に迷惑をかけているのであろうが、何故だか離れる気にはなれなかった。抱きついているBグレイモンの体には、確かな暖かさが存在していて。……それが自分の渇望しているものだ、と。脳裏に、そんなわけの分からない言葉が浮かび上がった。


「……美音、お前…………大丈夫か?」

「……?」

「…………ま、まぁ……ハッキリと言うとあれなんだが…………。今のお前が何か別の生命体に見えるぞ」

「〜〜〜〜っ(ポカポカ、ポカポカ)」

「…………図星なのか」

「ちっ、違いますよ……!」


緊張が抜けて、否……抜け過ぎたのであろうか。重要なことをまたもやすっかりと忘れて、私はBグレイモンと和んでいた。しかし、次の瞬間―――――微かに聞こえた粘液の音で、半ば驚きつつも音のした方角へと眼を向けた。それは、Bグレイモンだって同様だ。



「おらりぃぃぃぃぃぃ…………いすげうぉとぉぉぉぉぉぉ………………」


「……!」

「くそっ……こいつか」


ずい、と前に身体を進めて私を庇う体勢に移るBグレイモン。名前も分からない異形たる敵デジモンは、そんなBグレイモンを見て……明らかに憤怒の激情を体中で露にさせていた。触腕の先端に付いた竜型の頭が、本体同様に忌々しそうに唸る。Bグレイモンの方も、獲物を奪おうとする余所者を威嚇する肉食恐竜の様に、大きく咆えた。重低音が、森全体を震わせる。

怖い。今でも、Bグレイモンが居る今でも。あのデジモンは、物凄く怖い。逃げ出したくなるほどに、だ。でも、それでも――――――逃げたところでどうにもならないことは、何となく理解出来始めた。
ならば、どうするのか。
答えはもう―――――出ている。
見つけ出した『回答』がまるで正解だ、と言わんばかりにまたもやデジヴァイスが輝きだした。


「美音!!」


Bグレイモンは振り向かないまま、私に呼びかけた。その巨躯からは、強烈な闘気が溢れ出ているのが感じ取れる。見られているわけではないけれど、私はしっかりと頷いて言い放つ。


「はい…………迎撃、します!!」

「応ッ!!」


Bグレイモンは改めて地面を踏みなおし、顎を思い切り開き始めた。喉奥から、微かな紅い光が見え始める。それは―――――灼熱の、轟炎。留まっている其処から漏れ出している圧倒的な熱量が、景色を歪まして見えていた。Bグレイモンの頭部に降り注ぐ雨が、じゅわじゅわと音を立てて瞬時に蒸発してゆく。
私は、てっきり進化するのだろうかと思いつつ、輝くデジヴァイスを掲げた。すると……どうだろう。先程の、炎の五芒星がBグレイモンの前方に浮かび上がったのだ。その位置はというと、丁度Bグレイモンの開かれた顎……喉奥を中心にして、眩く展開される。



「ほもるあたなとすぅぅぅぅ!!!ないうぇずむくろすぁぁぁああ!!!!」



デジモンの方も、黙っているわけではなかった。触腕を前方、Bグレイモンに向けて構える。此方からは、圧倒的な邪気が放たれ始めた。触腕の先端の、竜顎が一斉に開かれる。それぞれの喉奥から、漆黒の霧状の物が溢れ出す。その影響からなのかは分からないが、デジモンの周りに茂っていた木々が、まるで化学反応でも起こしたかのように、一斉に枯れ始めた。緑色の葉が見る見るうちにこげ茶色に変色し、木全体も枯渇し始め、中には半ばから崩れ落ちるものもあった。攻撃のエネルギーとして、生命力を……吸っているのだろうか?もしそうだとするならば、被害が此方に及ぶまでに何とかしなくてはならない。


一撃で、決着を付ける。



Bグレイモンの肌に、そっと触れた。
恐怖と不安。私の中で、それらは決して小さくないまま、渦
いている。でも、それでも。不思議と、逃げる気にはならなかった。Bグレイモンが、傍に居てくれるからなのかもしれない。彼が居るからこそ―――――この恐怖と対峙するだけの『勇気』が、私の中には確実に存在している。
絶対に、逃げない。そして……負けない。
彼が傍に居る限り。彼が傍に居てくれる限り。
私達は、決して屈しない。


―――――勝つ!!




「しゃぁぁぁああ!!くすぅるらいらぁぁぁああ!!!!!」




先手は、向こう側だった。

敵デジモンから、闇黒の波動がBグレイモンに向けて放たれる。濃密な邪気。浴びれば恐らく、無事では済まないであろう。しかし、だからといって私達は決して動揺などしなかった。迫ってくる『敗北』を、真っ向から否定し尽くしてやるのだ。私達の想いに応えるかのように、五芒星が真っ白に輝きだした。

Bグレイモンは体を大きく反らし、バネの様に勢い良く前方へと上半身を突き出す。それと同時に――――開かれた顎、その喉奥の光がついに爆裂した。




「メガァッ!!!バァァァァストォォッッッツ!!!」



放たれた、灼熱の爆炎は。
光を放ち続ける五芒星を貫いたかと思うと、真っ赤だった炎を純白の彩に染め上げて。火の粉を電撃に変えて。真正面から、闇黒の波動に挑みかかった。互いが触れ合った瞬間に、世界そのものを揺るがすかのような、非常に強力な衝撃が迸る。
暗転する視界の中で、私はその眸に灼き付けた。

黒の波動をも呑み込み、白の閃光は敵デジモンを叫び声ごと包み込んで、粉々に砕き尽くした。それだけに留まらず、遥か後方まで地面を荒々しく砕き散らしながら、破壊の跡を拡大させてゆく。閃光が通り過ぎた後で、連続して爆発が起こった。粉砕した。粉砕し尽くした。私も、驚きを隠せない。其れほどまでに、驚異的な破壊力だった。



「ウォォオオオオァァァアアアアアア!!!!」



攻撃をし終えたBグレイモンが、大きく咆哮する。
荒々しいソレが、何故だか勝者の凱歌に思えた。
何時の間にか、胸の中に広がっていた不安も恐怖も、跡形も無く消え去っているのが理解る。残っているモノは、燃える様に熱い何かだけだった。決して、悪い気分では――――無い。

Bグレイモンと、目が合い……私は、少しだけ微笑んだ。
やっぱり、涙がぼろぼろと零れた。





「これは……」

「理解らないか?『ゲート』だ」


Bグレイモンの顎先で示された漆黒の大きな『亀裂』を見て、私は何とも言えない感情を抱いた。景色の中に、まるで窓ガラスを割ったかのような亀裂が入っている。何処から見ても、亀裂、だった。というか、それ以外に言い様が考え付かないのは私の語彙力が乏しいということなのか。
しかし、これを潜れば……元の、御巫さん達のいる戦場に戻れるであろう。特にその根拠があるわけではないが、妙にソレが確信めいていた。


空間の亀裂……否、ゲートを見つけたのは、これからどうしようかと悩みだした時だった。Bグレイモンの攻撃の跡……敵デジモンの居た場所辺りにあるのが、偶然目に飛び込んできたのだ。攻撃完了の直後は、至るところから噴く灰煙と、残留する熱の篭った地面に落ちる雨によって発生する水蒸気と。この二つのせいで見えなかったのだろう。熱を早く冷ましたという点では、この雨には感謝すべきかもしれない。
恐らく、あのデジモンを倒さない限りは……永遠と、この世界に居座るハメになっていたのかもしれない。



「往くんだな?」

「ええ。…………手伝って、くれますか?」

「勿論」


不適に口端を吊り上げるBグレイモンが、非常に心強く思えた。Bグレイモンの進化した姿……Bメタルグレイモンとスカルグレイモンは、ニノさんとヴイーヴモンの大きな加勢戦力となってくれるはずである。進化形態の素早い切り替え……『スライド進化』を上手に使いこなせば、彼は完全体と呼ばれるデジモン郡の中でも、かなり強い部類に入るのではないだろうか。そして、スライド進化を組み込んだ戦術を如何に編み出すかどうかは、私にかかっている。決して、油断することは出来ない。

出会って間もない、というのも言い訳になるのだが……デクスドルグレモンはおろか、ニノさんのこともヴイーヴモンのこともあまりよくわからないというのが現状。唯一、ヴイーヴモンが少なくとも『冷気』に関する能力を持っている、というのが推測出来るだけだ。此処ら辺の情報収集も、戦闘中にしっかりとやっておかなくてはならない。彼らの能力も把握しておけば、戦況を有利にすることが幾らか楽になるかもしれないからだ。


「では……頼みます!」


改めて気を引き締めて、私はデジヴァイスをBグレイモンに向けた。蒼白い光が、Bグレイモンを眩く照らす。Bグレイモンの身体も、光を放ち始めた。進化、する。



「Bグレイモン……進化!Bメタルグレイモン!」



Bグレイモンの巨躯に光を放つ青の翼が生え、左腕、胸部が機械化し、頭部を覆っていた兜が鋼鉄のアーマーへ。より攻撃的な姿へと、その蒼い巨躯が変化する。唯一変わらないのは、頭部のアーマーから覗く、優しさの秘められた金色の瞳。お互いに見つめ合ってから、ゲートに向き直る。

思い切り腕を伸ばして、彼の手を握った。彼からすれば、私の手なんて、小さ過ぎて細過ぎて脆過ぎるのかも知れないけれど……それでも彼は、3本の大きな指で……手を、握り返してくれた。その暖かな感触が、何とも心地好い。私は彼に、勇気付けられている。


「……往こう」

「はいっ!」


痛い足を引き摺るように、しかしちゃんと地面を踏み締めて。私達は、ゲートの中を潜り抜けた。視界が、真っ暗闇に包まれる。かと思えば、今度は凄い光量に体中を照らし出され……次の瞬間には。


元の戦場に……私は、舞い戻っていた。






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