これは、1つの物語だ。
私という存在が、確かに其処に在ったということを証明する物語だ。最悪の粗筋、最悪の配役、最悪の演出、最悪の結末……そんな、ありとあらゆる最悪を掻き集めて作り出された中で、彼と一緒に必死に生き足掻いた……私の、唯一の物語。

全てのお話が“幸福な終焉(ハッピー・エンド)”で終わるとは限らない。限る必要すらない。とあるお話では英雄が悪竜に喰い殺されるかもしれないし、とあるお話では騎士が王女を悪魔に奪われてしまうかもしれない。
それはやっぱり、物語の紡ぎ手が決めてしまうものなのであろう。喜劇を好むヒトが創ればそれは喜劇のまま終わるのであろうし、悲劇を好むヒトが作ればそれは悲劇のまま終わる。お話の中の人物/配役に架せられてしまう、絶対的な運命(フェイト)。きっと、それを素直に受け入れていたならば、私は最悪の粗筋を最悪の配役として最悪の演出をこなし、最悪の結末へと辿り着いていたに違いない。

だけど――――――その中で、私は逆らい続けた。最悪の結末を認めたくなかったから。最後まで自分らしく在りたかったから。無駄だと知りながらも、紡ぎ手の掌の上で、無様を曝しながらも必死に逆らい続けた。無駄なのに。運命は、絶対に変えられない筈なのに。


しかし、それは決して……無駄なものではなかった。


時としてお話の中の人物達が、何らかの奇蹟を起こして物語を、作者の意思を螺旋禍げてしまうこともあるらしい。喩えるならば、完璧に組み立てられたデジタルプログラムの中に入り込んだバグとかだ。機械仕掛けの神サマ(デウス・エクス・マキナ)と呼ばれる御都合主義な展開。理不尽と不条理を以ってして、シナリオを台無しにすることが出来る、ある意味で窮極の手段。

自分には決して辿り着けないと思ってた、奇蹟の力。
でもそれは―――――――



『動け………よぉおおおおおお!!!!!!』


『ふざっ……けるな……!!お前っ、が死……ぬ……だ、と?……認め、る……かよっ……!!』


『前に約束しただろ……お前は絶対、俺が護り通すって』



気が付けば、その力は。その力の持ち主は。
―――――――いつも、私の隣に居た。





《帰還》





「えっ……あ……美音、ちゃん?」

「……くぅっ……大丈夫、です……」


激痛。幻痛。ぼやけた意識が完全に覚醒し、一番最初に感じたものが其れ。戸惑いの彩を隠せないまま、御巫さんがよろける私の身体を支えてくれる。

状況を確認。デジヴァイスの画面には、PM12:20の表示。秒単位は、ちゃんとカウントされている。向こうの世界に居た時間は、此方の世界での数分、か。あまり好都合とはいえない。

距離は離れているものの、決して遠いわけでも無い戦場では、デクスドルグレモンの巨体の前で、ヴイーヴモンとニノさんが血塗れて、ぼろぼろの身体で対峙していることが見て取れた。地面は抉れ、血色に染まった瓦礫があちこちに四散している。……戦況は、どうやら不利らしい。

次に問題なのは―――――身体の方か。あのデジモンの粘液こそ落ちきっていたものの、雨にびしょ濡れで、ぶつけた額や脚の擦り傷、その他諸々からは未だに血が流れている。制服とブラウスは、もう使い物にならないぐらいに引き裂かれてしまっていた。そして何よりも辛いのが、足首と足の付け根だ。結構な痛みのせいで、暫くはまともに走れそうに無い。これは何とも不都合。


後は……



「きゃっ!?」

「……っ」


突如として、熾烈な衝撃波が背後より迸った。それだけで大体何が起こったのか私は理解できたが、御巫さんには理解るはずも無く……可愛らしい悲鳴をあげた。右足首を捻っているので、異常の無い左足に力を込めて、体が前に倒れそうになるのを防ぐ。

『零』の空間に顕現化する、圧倒的質量を持つ『壱』。
空間を歪ませながら、それは実体を帯びていく。正しく流れ往く“世界”と言う情報に、自身の情報を無理矢理捻じ込み、馴染ませるのだ。その結果、数刻の間世界は捻じ曲がり、しかしやがて新たな存在をその場に残しながら、正常な状態へと還って往く――――――そんな、考えたこともない……ユークリッド幾何学には無いであろう原理を説明する文章が、どうしてか脳裏に過ぎった。

衝撃は、一瞬だけ。
半ば確信を持って、私は背後を振り返る。


「えっ……!?」


御巫さんが、またもや悲鳴をあげる。しかし、それも一瞬のことだけで……慌てることも騒ぐことも無く、ただただその姿に見入る。

光り輝く翼を生やした、鋼鉄を鎧う蒼の竜型――――Bメタルグレイモン。有機体と無機物を無理矢理複合させたその禍々しい姿とは裏腹に、鋼の兜から覗く金色の瞳に邪悪の彩は一切存在し得ない。
掛替えの無い、最高の相棒。振り向いた私と視線が交差し、Bメタルグレイモンが頷いた。重い駆動音と共に背後の光り輝く翼からフレアを放出、そのまま突風をこの場に残して飛翔する。蒼白い光の軌道が、灰色の空の中に綺麗に映り込んだ。


……事情の知らない御巫さんからすれば、突然悲鳴を上げてしゃがみ込んだ私が……次の瞬間、ぼろぼろの姿になって立ち上がっている様にしか見えないわけだ。しかも、それと同時に……背後に、一見すると凶悪に見えなくないBメタルグレイモンが、唐突に顕現化した。驚き、唖然となるのも当然だろう。
私の体験を話すべきか、一瞬だけ考慮するが……あえて、それは断念した。信じる信じないよりも先に、そんな話は意味など持ち得ないからだ。今は、戦うことだけに専念しなければ。


「……心配、しないでください」

「…………っ」

「私なら、平気です……そして、彼は私のパートナー……Bメタルグレイモン。私達も、加戦しますよ」


私の、その台詞に応えるかのごとく。


彼は咆哮し、敵に斬り掛かる。デクスドルグレモンは、翼に無数に備わった鋼鉄の棘型でBメタルグレイモンの爪撃……トライデントアームを防いだ。一瞬、強烈な衝撃を迸らせてから激しい火花を散らし、Bメタルグレイモンが一方的に弾き飛ばされる。これは……質量の、差だ。デクスドルグレモンの巨躯は、目算でもBメタルグレイモンの5倍近くはある。

弾き飛ばされたBメタルグレイモンは翼を思い切り広げ、くるりと宙で回転した。慣性制御をすることで、体勢を立て直す。その間にも胸部の装甲が軽快な駆動音と共に開き、直後、顕れた2つの砲門から1発ずつ、巨大な弾頭が発射された。放たれた必殺の2撃・ギガデストロイヤーは、しかし敵に触れる寸前の所で、紅く光る――――視えない何かと衝突し、先端が酷く形を歪めながら潰れ、爆発する。

理解っているとはいえ、やはり……相当厄介な相手のようだ。気を引き締めないと、本当にあっさりと殺られる。


「……逃げたく、無いんですよね……。大切な人達を、置いてまでなんて……」

「!」


御巫さんが、ハッと目を見開く。……正解、ということか。ニノさんやヴイーヴモンが戦いに往く際から、薄々気付いていたこと。御巫さんが不安そうな表情を浮かべたのは、自身が生き延びられるかどうかなんて……浅はかなものではない。


自分だけ逃げるのが、嫌だったのだ。


今なら、理解る。Bグレイモンに助けてもらった今だからこそ、理解る。喩えどんな恐怖と面と向かおうが、決して自身だけが逃げては駄目なのだと。テイマーとパートナーデジモンは、揃ってこそ漸く1つとなるのだ。だからこそ、私はあの邪悪に満ちた森の中で、あの絶望的なまでの恐怖を―――――踏み越えることが、出来た。


「戦いましょう。私達には私達の、戦いがある」

「……うんっ!」


御巫さんが、頷いた。そこにはもう、迷いの表情は無い。
戦う意志を示したかのように、勇気がソレに秘められていた。普段は酷く臆病そうな彼女の見せる、勇敢な表情に……私は、微笑むことが出来た。ニノさんには申し訳ないが、この戦い……私達は逃げない。彼らが立ち向かうのと同じ様に、私達も立ち向かう。



「キシャァァアアアアアアアッッッ!!!!!!」



デクスドルグレモンが、体中からバリバリと紫電を放出し、大気を激震させながら咆哮する。増えた敵に対する怒りか、それとも歓喜か。どちらにしろ……私達には関係が無いことだ。確実に倒してみせる、ただその言葉だけを念頭に置く。強さは結局、意思の大きさによって変わってくるものなのだ。
雨が、一層強く降り始めた。
いいだろう……とことんまで、戦ってやろうじゃないか。



「うぉぉおおおおおおっっっ!!!!」



雄叫びと共に、Bメタルグレイモンが光の軌跡を描きながらデクスドルグレモンへと再度、肉迫する。私は、無意識の内にデジヴァイスを掲げていた。画面から眩い光が放たれ、連動してBメタルグレイモンの身体も薄らと金の光を帯びる。光を放つデジヴァイスの前方に、燃え上がる五芒星の印が浮き出る。
絶望と云う窮地から得た、デジヴァイスの力。我らを護り、魔を断つ力を与える―――――五芒星の輝き。
負けない……負ける筈が、無い!



「メタルグレイモン……往けぇッッッ!!!!」






Re/call 〜Emerald〜
第拾陸話 『血戦の予兆 ?Providence Lost-』






「ふぅむ……こりゃー撤退させた方が良いな」

「間に合うのかな……」

「しゃーねぇ、ヨグソトーモンを仮起動して強制的に呼び戻すぞ。“生贄”は……そうだな、4号体でいいだろ。ありゃもう“深きものども”の玩具以外使い道も無い」

「了解……シークエンスに移るよ」


目の前のモニターを睨む青年、そして映し出される戦闘の模様に、邪悪を孕んだ満足げな笑みを浮べる男。青年が告げたと同時、モニターの映像が半分、戦場とはまた違った空間を映し出す。映し出された漆黒の空間の中で、光も無いのにその姿を鮮明に画面越しに映し出す門の形をした異形――――ヨグソトーモンは、全身で不気味な脈動を開始した。

扉の表面。鋼鉄とはまた違う、ぬらぬらと光る深緑色の金属が――――ごぼごぼと泡立ち、溶け始める。極彩色の光を放ち、虹のような艶を帯びながら扉が煮え立つ異質な粘液となり、意味ある形を失って――――直後、別の意味ある形へと作り変えられていく。

それは無数の、無限にすら感じられる球体の集まり、だった。膨脹と縮小/蒸発と凝固/分離と結合/消滅と創造……ひたすらに、無意味な動作を繰り返す。球体の一つ一つから放たれる名伏しがたい気配が、周りの空間を犯し/侵し/冒し、幻想と現実の境界を歪ませ、曖昧なものへと変えていく。その悍ましい邪気は、画面越しでも充分に感じ取ることが出来た。


「D-X(デクス)も結構頑丈に出来てる筈なんだけどね……あの三体、そんなに強いの?」

「ああ、特にBメタルグレイモンとはマジで相性が悪りぃ。デクスは“旧支配者”の贋作、っつっても宜しいからな……エルダーサインを使う連中には自然と弱くなっちまうわけよ……それに、だ」


男が、背後の暗闇に眼を向ける。
光すらも呑み込んでしまうかのような暗闇の中、何時の間にか―――――女が、静かに壁に凭れかかっていた。
昏い茶髪、薄く開かれた紅の眼。ヒトの姿を模られた、悪魔……ペイモンこと、シーナ。



「ソロモン72柱……43番魔の【逸鬼刀閃(イビルレイズ)】、サブナモン……噂には聞いてたが、かなりのやり手みてぇじゃねーかよぉ。なぁ、シーナ?」

「うん……強いよ、ニノは……」

「元・親友としてはどーなんだよ、敵対するってぇのも」


画面の向こう側では、今や幻想と現実、両方の域を侵食しようとしている異形たる球体の集まりに対して、鎖で吊るされた何かが、天井からゆっくりと降ろされる。シーナが、苦しげな表情でその光景を見つめる。

吊るされていたモノは、小さな人型だった。
全身を縛り付ける拘束具やワイヤーの隙間から見える褐色の肌は、表面に幾重にも渡り何かの意味を表した文字列が焼き刻まれている。唯一、何の拘束にも囚われていない頭部には、死人の様な虚ろな表情を浮かべる少女の貌が在った。

球体の群れの直下にまで降ろされた時、拘束具が一斉に砕け散った。破片と共に、一糸纏わぬ少女の身体が球体の群れの中に沈む。球体が一斉に蠢き、少女の身体は数刻と経たぬ内に球体の中に埋もれた。


「……本当のこというと、戦いたくないんだけどね」

「っはっはっは!お前は本当に真面目に答えてくれるな。でもすまんな、お前の手も借りにゃぁならん」


男が、静かな笑みをその貌に浮べる。顔に亀裂を入れたような、どこか人間離れした邪悪と魔性を孕む笑み。その表情を見つめるシーナの背筋を、何か薄ら寒いものが駆け抜ける。そうしている間にも、モニターに映し出されたヨグソトーモンに、更なる変化が訪れた。

無数の蠢く球体が、環(リング)の形を作り上げたのだ。
まるで、土俵の様にして綺麗な環を描くヨグソトーモン。その環の中心に、先程の球体の中に埋もれていた少女の身体が、無造作に転がっていた。その姿は埋もれる直前とは打って変わり、汚濁色の粘液で濡れた全身の至る所が火脹れや酸化に苛まれ、更には肉が削げ落ち骨を曝している部位すらあった。屍の様に一切の動きを見せない、奇怪にして異形の姿と化した少女。そんな少女の身体が、次の瞬間―――――光の粒子となって、崩れ始める。


「……やっぱし、元から失敗作だったな。一回でこうなっちまうたぁ……使い捨ての【銀の鍵】としか呼べねぇ」

「ヨグソトーモンの術式は絶大だか
ね……普通の人間じゃぁ耐え切れずに一瞬で分解されてしまうよ」


無数の光の粒子―――――少女の肉体だったものが、地面に溶け込む。最後の粒子が溶け込んだ瞬間、環状に姿を変えたヨグソトーモンから、極彩色の閃光が爆ぜた。その際、無制限に放たれた空間を震わす程の神気が、一瞬だけモニターの映像をノイズで掻き乱す。映像が回復した時……其処には、異常な光景が拡がっていた。極彩色の彩を帯びた、環状のヨグソトーモン。その環の中には――――――地面と言うモノが、存在していなかった。漆黒の、底無しの闇が拡がっているだけだ。



「ヨグソトーモン、全並行空間に接続完了……後は任せたよ」

「おぅ、ご苦労さん……んじゃ、ちゃっちゃと済ますかねぇ」



男が、モニターの前に一歩進む。
左手で剣指を作り、空中に素早く「Ω」を描いた。右手を親指と中指を突き立ながら前方に突き出し、その直後に今度は逆さの「Ω」を左手の剣指が描く。映像越しであるにも拘らず、男がその動作をし終えた途端、ヨグソトーモンの環の中に拡がる底無しの闇が“渦巻”いた。



「――――――我が聲を聴き入れ給え、彼方の者よ。全にして一、一にして全なる者よ。門にして路なる者よ、門を開き、路を繋ぎ給え。我は汝の縛めを破り、印を投棄てたり。我が聲を聴き入れ給え……ッ!!」



ほんの、僅かな一瞬。男の貌に、何かが浮かび上がった。ゆらゆらと揺れるように浮かび上がり、消滅したそれは。男が“人間で無い”事を証明するには十分過ぎる程の異様さを秘めていた。モニターの表面、鏡の様にしてぼんやりと映りこむそれを見たシーナの表情が、一瞬だけ戦慄に凍り付く。



それは――――――焔える、三つの眼だった。





《異刻》





戦いは、互いの攻撃が弾け合うと共に熾烈さを増す。
閃光/爆裂/激風/斬撃/爆発/血嵐/破壊/破壊/破壊/破壊/破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊。


「……来る、左っ!」

「ぐぅぅっ!!!」



轟、轟、轟、轟、轟ッ……!

次々と迫り来る―――――鮮血の棘槍。デクスドルグレモンの誇る、絶大な威力を秘めた爆裂攻撃。
コンクリートの地面を荒々しく噛み砕き、突き破り。連続して、無数の巨大な血柱が噴出する。一撃爆ぜるごとにまるで豆腐が崩れるかの様に廃墟の数々が巻き込まれ、無惨にも粉砕し、瓦礫が四散する。

しかし、そんな中であるにも拘らず。ニノを乗せたヴイーヴモンは、迫り来る瘴滅必至の連撃を、疾風の如く躱わし続ける。視えない筈の未来でも視えているかの様に――――――否。



「……前方、左斜め……今だ、避けろ」

「っっ!!!」



ニノが、極めて冷静な眸で前方を睨む。ぽつぽつとヴイーヴモンに指示を与えつつ回避させては、果たして予め計算されているかの様に、疾走するヴイーヴモンの軌道から僅かにずれた位置で爆砕、血柱が噴出。その血槍がヴイーヴモンを捉えることは、決して在り得ない。そんな出鱈目な奇蹟を連続で可能にするのが―――――――ニノこと、ソロモン72注が一、43番魔“サブナモン”の誇る予知能力だった。

疾風の如く必滅の連撃を避けながら、ヴイーヴモンが突如として顎を開いた。前方の、血色の雨水を瞬時に氷結させるほどの低温の吐息が漏れる。ヴイーヴモンに秘められた“冷気”を操る能力を生かした、絶対零度の一撃。その発射の矛先が、デクスドルグレモンの巨躯に向けられた。


「フリィィズ、ブラストォォォッッ!!!」

「……っ!」


軌道上に降り注ぐ雨の雫を雹に変えながら。光速で、しかし一切の狂いも無く正確に放たれた、蒼白く輝く極々低温の閃光。それが、デクスドルグレモンの長首に触れようとした、その瞬間―――――――何処からか、紅い閃光が迸り。まるで悪い幻覚でも見ているかの様に、閃光は呆気なく消滅した。


「やはり駄目か……」

「斬りかかるぞ」


2体に焦りは一切無い。
今のは―――――Bメタルグレイモンの必殺技、ギガデストロイヤーが防がれた時と同様のモノ。
ヴイーヴモンの必殺技は、決して脆弱なものではない。寧ろ、状況によっては最上位と歌われる究極体レベルのデジモンに大ダメージを与えるほどの威力を秘める。其れだと言うのに、目の前に居る、異形たる邪竜は。まるで自身らのことを存在ごと嘲笑うかのように、全くの無傷で其処に健在している。

デクスドルグレモンの前方、丁度ヴイーヴモンの攻撃の目標点を中心として。不愉快さを感じられずにはいられぬ、深くて昏い血色の紅い閃光を放つ正方形×正方形=八芒星―――――オクタグラムの印が浮かび上がっていた。数秒の時を経て、まるで何事も無かったかのように、ただの血霧と化し、跡形も無く消え去る。

これが、遠距離の射撃攻撃を全て遮断する原因となっていた。デクスドルグレモンが内包する魔力の一切を純粋な闘争本能と接続。最上の放出手段として、地球上の幾何学の一切を無視し、超越する“魔術”として繰り出す。デクスドルグレモンの攻撃の数々も、そして先程の防御手段も全て――――――魔術の織り成した、脅威だ。



「キシャアァァァアアアアアァァアァアアア!!!!!」



デクスドルグレモンが、咆哮する。
純粋な殺意だけで構成された、異形たる咆哮。
空間が激震し、空気が悲鳴を上げる。叩き付けられる圧倒的殺意と神気に耐え切れなくなり、デクスドルグレモンの周囲に散らばる瓦礫の数々が、音も無く粉微塵に砕け散っていく。

そんな咆哮の中、しかし衝撃波と激風を引き連れて、デクスドルグレモンの真上から迫る影がある。
デクスドルグレモンの気が2体に集中している隙を狙って、上空から攻撃を仕掛けていたBメタルグレイモンが急降下してきたのだ。鋼鉄の左腕、その表面を光のラインが幾重にも渡って迸り始める。
クロー部分に、電撃が迸った。
必殺の一撃と化す。


「トライデントアームッ!!!」


デクスドルグレモンが咄嗟に反応したが、遅い。
血柱が噴き荒れるよりも迅く、咄嗟に展開された八芒星の結界をも突き破り―――――Bメタルグレイモンの一閃がデクスドルグレモンの片翼を、纏めて斬り裂く。続けざまにもう一撃を加えようとするが、同時に繰り出された頭部の鋸刀と尻尾の棘錐による迎撃を右肩と脇腹に受け、貫かれた状態でそのまま振り回され、後方へと叩き付けられた。

一方、斬り裂かれた筈の翼は、断面同士から噴き出た血筋/骨肉が絡まり合い、見る見るうちに修復されていくのが理解った。与えたダメージが、無意味なものと化していく。Bメタルグレイモンは、血反吐を吐き棄てながら、態勢を整え直した。
再び、音速を以って飛翔する。それと同時、Bメタルグレイモンの居た地点が何度も何度も爆砕し、無数の血柱が噴き上がった。しかし、Bメタルグレイモンを捉えるには至らない。血柱は瞬時に治まり、虚しく血雨が地上に降り注ぐ。デクスドルグレモンが、忌々しげに唸った。



「余所見をしている場合か……?」


「ッ!!!」



斬撃が通用したことに、勝機を確信したか。
Bメタルグレイモンに気を囚われている内に、今度はニノを乗せたヴイーヴモンが急速接近、一気に肉迫していた。ニノが、その手に執った戦槍を大きく振り上げ、構える。錆びや刃毀れの一切を見受けられぬ、ダマスカス模様の鋭利な刃に、渦巻くようにして濃密な瘴気が纏わりつく。デクスドルグレモンの迎撃が迫るよりも迅く、ニノはヴイーヴモンの背を蹴り飛ばし、大きく前方へと跳躍した。



「受けてみるか……スパイラルデリーター……ッ!!」



槍を回転させ大きく勢いを付けながら、袈裟の軌道を以って槍を振り下ろす。
刃による直接的斬撃に加え、纏わり付いていた瘴気を真空刃として放つ。その結果、必殺の一撃は自身の10倍以上はあろうデクスドルグレモンの巨躯を首筋から左脇腹までを瞬時に斬り裂き抉った。そのままヴイーヴモンの背へ着地、翻弄するかの様に駆ける。それと同時、血の噴き出る断面に変化が現れた。


「グゥゥゥ……!!!」


断面から新たに溢れ出す―――――腐汁。
斬り傷を発生源とし、じわじわと周囲の肉が腐敗してゆく。溢れ出す筈の新たな血筋/骨肉の代わりに、汚物色の腐汁だけが流れ出る。修復することが、出来ない。その時になって初めて、デクスドルグレモンに動揺が走ったようだ。表情は鉄兜に覆われて全く読み取れないが、まるで戸惑うかのように、数歩後退する。
それ故か―――――反応が、更に遅れた。


「ギガ……デストロイヤァ!!!」


「フリィィズブラストォッッ!!!」


傷口を狙って、急速に迫る2発の弾頭/極々低温の閃光。Bメタルグレイモンの急降下爆撃とヴイーヴモンの精密射撃の連撃。腐敗しつつある傷口を、閃光が瞬く間に凍結させた。腐蝕領域を瞬時に侵す絶対零度の侵蝕はそれだけに飽き足らず、デクスドルグレモンの左半身、その大部分を氷塊へと変える。

其処に迫る―――――有機体弾頭、ギガデストロイヤーの2撃。まともに動けぬ氷塊と化した半身に炸裂する、灼き尽くす爆炎×吹き飛ばす爆風×轟き震わす爆音=砕き散らす爆発。





戦場を、白い光が覆いつくす――――――





「やったか……?」


ぶすぶすと地面から吐き出される灰煙は、視界をほぼ零と化していた。ニノを乗せたまま爆発から逃れたヴイーヴモンが、誰に答えを求めるでもなく、問いかける。

翻弄しながらの攻撃は、成功したと考えてもおかしくは無いであろう。翔ぶことの出来るBメタルグレイモンは空中から。ニノの予知能力による攻撃回避を可能とした、地を疾風の如く駆け抜くヴイーヴモンは地上から。よって、二手に分かれての不意打ちを主とした連携攻撃。この“作戦”の発案は―――――美音と月愛によるものだった。

最初の数分は回避を専念しながら攻撃を続け、敵・デクスドルグレモンの攻撃手段や防御手段をある程度把握しておく。その戦況をテイマーである美音と月愛が確りと視捉え、3体がそれぞれ持つ特性を活かした作戦を発案。そして、その作戦を元に行動した結果―――――今に、至る。


「(優れたテイマーではあるようだな……)」


蘭咲美音、か。
恐らく、作戦の大半は彼女のアイディアであろう。本人の前では決して言えないが、ニノの識る月愛という少女は優柔不断な部分が多く、何より敵にどれだけダメージを与えているのか、ということよりも自身とヴイーヴモンがやられないかどうかということばかりを視続けている欠点がある。

突如として顕れたBメタルグレイモン……美音のパートナーの参戦、そして月愛と共に逃げず、寧ろ戦おうと勧めた行為。具体的説明が無き故に、自身らには理解らない部分。そして月愛の想いを考慮した上で、とはいえ少々苛立たしい部分。それらを含んでも、彼女の能力は評価すべき点が多いのかもしれない。

複雑でいて微妙な考え、感情から来る心の疲れを、溜息と一緒に吐き出そうとした―――――その、瞬間。



「――――――ッ!?」


「くっ……ぐぁぁっ……!?」



“不可視”の衝撃波が、2体を弾き飛ばした。





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