家に帰ってから、買ってきたお野菜やお魚を冷蔵庫にしまって、お風呂を沸かせた。着ているものを全部脱ぎ、裸になってお湯に浸かると、チリチリとして痛みで、体の所々に擦り傷や青痣が出来ているのが解る。石鹸をつけたタオルで体を擦ると、傷口が酷く痛んだ。髪をシャンプーで洗ったら、髪に付着していた泥汚れが、綺麗に流れ落ちる。

 

 

 柚を入れた湯船に浸かりながら、今日の出来事を振り返る。

黒い恐竜―――Bアグモンは、家に着くなり、庭ですぐに寝てしまった。聞きたいことが色々とあったけど、私は帰るまでの道程、ずっと何も喋らないことにした。Bアグモンも何も喋らないでくれたのが、幸いだった。

 

 

考える時間が、必要だった。

いきなり、非現実的な光景を目の当たりにさせられた。巨大な蜘蛛の化け物に、Bアグモンと名乗る、人語を理解し、話し……焔を吐く、小さな黒い恐竜。まるで、SF映画のような―――――

 

現実味を帯びない、『現実』。

 

 

……………。

 

 

とりあえず、今日はもう早く寝よう。

疲れた。尋常でないほど、疲れた。体も、酷く痛む。

 

そう思いながらも、私は長いことお湯に浸かっていた。

その後、お風呂を出て、寝巻きを着てからすぐに布団を敷き、晩御飯のことも考えずに眠りに着いた。意識が深く深く沈み込むのに、数分も要らなかった。

 

 

 

 

Re/call 〜Emerald〜

   第弐話 『交わり』

 

 

 

 

《晩朝》

 

 

 

目が醒めると―――日は、結構な高さにあった。

思わず、がばりっ、と布団を薙ぎ払って起きる。手を伸ばし、目覚まし時計を掴み、自分の手元まで持ってくる。

 

10:35。

 

 

「……………。」

 

 

……………。

 

遅刻、か。

今更、行ける気もしない。携帯電話で、学校に『気分が悪いので、休みます』、と伝えておいた。電話に出てくれたのは保健の有川(ありかわ)先生で、切る前に健康の何たらかんたらについて、教えてもらった。

 

気分が悪いのは事実だ。先生も、解ってはくれた。よって、これはズル休みというワケではない。そう思っておこう。

 

………動ける気が、しない。体が重い。

目眩。頭痛。吐き気。腹痛。風邪。それらが一気に体に押し寄せてきた感じで。私は、思わず呻いてしまう。

 

 

「…………何だって言うんですか」

 

 

誰に問いかけたのかは解らない。

私は、誰にも問いかけたつもりは無い。

 

 

……………意識は、再び闇の中に埋もれた。

 

 

 

《夕方》

 

 

 

起きた時にはもう……空は、茜色に染まっていた。

我ながら、結構な時間を眠ってしまったらしい。窓から網を通して吹いてくる涼風が、とても心地よく感じた。

蟋蟀の鳴き声が聞こえる。私は、その綺麗な音を聞きながら……悪くない気分に浸る。成る程、そこそこ回復はした、ということか。体の傷は、まだ痛むけど。朝のときよりは数倍マシだ。

 

体が、動く。

そう感じた私は、毛布を退けて立ち上がろうとした。

 

その時。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

少年の、声。私は、この声の主を知っている。

昨日会った。人間じゃない、非常識な生き物。

 

Bアグモン、だった。

 

枕元で、私の寝巻きを持ちながら座っている。

………寝巻き?どういうことだろうか。

嫌な予感はしたけれど……。とりあえず、まだ退けていなかった毛布と掛け布団を退けてみる。

 

 

見事に、上半身は脱がされていた。学校の検診を受ける時のような姿になっている。今更になって、薄っすらと体が汗ばんでいることが理解った。

 

 

「人間って随分と脱ぎにくいモノを着てるんだな。取るのに一苦労したぞ。」

 

 

………ああ、そうか。

この生き物には、人間の作ったマナーというものが分からない、ということか。無理も無いと思う。Bアグモンは服の類、一切を身に付けていないわけなのだし。そう考え、どっと溜息を吐いてしまった。

 

 

「ごめんな。ドクグモンの毒液、回ってるのに気付かなかった。でも、もう大丈夫だからさ。」

 

 

ドクグモン。恐らく、あの巨大な化け物蜘蛛のことなのであろう。それにしても……名前の最後が『モン』なのは、この非常識な生き物達に共通しているのだろうか?随分と、可愛い名前だな……と私は思った。

後は……。

 

 

「毒、ですか………?」

 

 

「そう。あいつの糸には毒が含まれてるんだ」

 

 

………納得の行く話ではある。

飛蝗や甲虫とは違って。蜘蛛は、捕食者だ。草や樹液と違って、捕食者の餌は動く生き物なのであろう。毒で麻痺なり何なりさせてから捕食する、と考えたところでおかしい所は何処も無い。

 

 

仮定 壱:私は、毒に侵されていた。

仮定 弐:体が、異常に汗ばんでいる。

仮定 参:体の症状は無く。健康な状態にある。

仮定 肆:毒は、熱に弱い性質を持つことが多い。

仮定 伍:Bアグモンは、炎を吐く。

 

以上の仮定から算出すべき結論:Bアグモンは、燃え移らない程度の炎を吐きながら私の体を温め、汗を掻かせる事によって毒を消滅させた。このやり方は、ドクグモンの毒に対する、対処法である。

 

穴だらけの仮定から出た、とても曖昧な結論。しかし、これが正解だと。私は、自信を持つことが出来る。

砂漠でキャンプをする発掘家達にも、同じような方法で蠍に刺された時の対処をすることがある。焚火などを起こして、体を温めると蠍の毒は汗と共に抜けていく。お爺様から、そう教えてもらった。

 

 

「有難う御座いました。」

 

 

助けてもらったことに、変わりは無いのであろう。

私は、Bアグモンに深々とお礼した。しかし、Bアグモンは疑問符を浮かべたような顔を作り、ぽつり、と言う。

 

 

「言ったはずだぞ?あんたは俺のテイマーだ。些細なことで死なれたら……適わないからな」

 

 

………。

そう、か。

私は、昨日…Bアグモンの告げた言葉を思い出した。Bアグモンは、私を探しに来て、私を必要としているのだ。そこまで自分自身が軟弱だとは思わないが、それはあくまで昨日までの常識範囲内での話、だ。

あの化け物に、私を殺すのは………間違いなく、意図も容易いハズ。もしも。あのような化け物が、まだまだ居るとすれば……ほぼ確定的に、私は軟弱な存在なのであろう。

 

テイマー、『育成師』の意味はよく解らない。Bアグモンを、私が育てる………英才教育を施すのか、それとも芸を覚えさせるのか、はたまたあのような化け物とどんどん戦わせて経験値を積んで何たらかんたら……ロールプレイングとか言うテレビゲームの類でよく言うあれか。やったことは無いけど。

 

まぁ、深く考えることも無さそうだ、今は。

とりあえず、色々と聞きたいことがある。Bアグモンに、だ。私は、寝巻きをきちんと着てから、Bアグモンと面向き合う。しかし、そこでお腹がグゥ、と鳴った。同時に、三大欲求の二位を占める、食欲が湧く。

 

そうか。

 

仮定 壱:眠りに就いたのは、昨日の夜。

仮定 弐:朝に一度起きる、が、もう一度寝付く。

仮定 参:起きた時には既に、夕方だった。

仮定 肆:いずれも、食事を取っていないものとする。

 

以上の仮定から算出すべき結論:私は、眠りっぱなしで三食分を飛ばしたこととなる。よって、食欲が湧くのは当然とも言えるべき現象であり、この欲求に逆らうことは望ましくない。

 

Bアグモンも、恐らくそうなのであろう。

私は、ふら付く体を頑張って起こし、冷蔵庫まで歩み寄ってその中を検討し始める。食材は、揃っている。しかし、お野菜とお魚がメインだ。私はもう一度、Bアグモンの姿を視認する。

 

座りながら、不思議そうに私を見つめている彼は。お腹が空いているのは間違いないと思う。思うのだが。

 

どう考えても、『肉食恐竜』じゃないのか、彼?

生憎、この家の冷蔵庫には………豚肉も鶏肉も牛肉も羊肉も馬肉も山羊肉も、無い。陸上動物(あくまで人間が食べる範囲と想定したもの)、殲滅だ。お魚は果たしてお口に合うのだろうか?お野菜は?

 

 

「あー、あのなー。」

 

 

不意に、Bアグモンが頬(?)をポリポリと爪で掻きながら、言い難そうにそっと、口を開いて呟いた。

 

 

「俺、そこらの野良猫食ったから……もし、あんたが今から飯でも作る気なら……俺の分、作らなくても良いぞ」

 

 

…………。

現実は……なんて残酷なのだろう。

 

 

 

 

夕食は、結局私の分だけを作った。

ガス釜で炊いた麦ご飯と、焼いた鮭の切り身。白味噌に煮干出汁の味噌汁は、茄子と牛蒡が具だ。後は、白菜と胡瓜の漬物。私は、和食しか作れないから、食卓にも和食しか並ばない。

 

お爺様とお婆様が居ないと、『頂きます』と言うのも淋しい。まぁ、居ないのだから仕方ないのだが。Bアグモンは……食べずに、火を炊いた炉裏を通して向かい側から私のことを見ている。

 

 

「さて。色々と、教えてもらいたいことがありますね。」

 

 

「いや、まず答えなきゃならんことがあるだろ」

 

 

アグモンが、指(と言うか、殆んど爪だけど)を私に向けながら、びしっ!と決める。私は、箸を休める

 

 

「あんたの名前を聞いてない。」

 

 

そうだった。

だから、Bアグモンも「あんた」と読んでいたのか。名前を名乗っていなかった……何とも、失礼極まりない気持ちで一杯になった。礼儀がなっていない。名乗らなくては。

 

 

「私は………蘭咲、美音です。」

 

 

「美音ねぇ……変わった名前だな」

 

 

そうだろうか?私自身は結構気に入っているのだが。

ちょっと抗議してみようと思ったのだけれども。

どうでもいいことだと、思った。

 

 

「そう、だな」

 

 

Bアグモンが、思い出すかのように首を上げる。私は、味噌汁を啜りながら、ゆっくりとBアグモンの話に耳を傾ける。囲炉裏の火が、ぱちぱちと音を立てて火の粉が上がった。

 

 

「俺達の存在ってのは――――」

 

 

 

《闇夜》

 

 

 

「デジタルモンスター………略称でデジモン。その存在は全てデータによって構成されている、と。最も―――」

 

街も、夜となれば急に静かな空間と化す。特に、路地裏、等だ。静まり返った空間だからこそ、音がよく響く。

暗闇の中で、少女が一人、淡々と呟いている。紺の瞳には、冷え切った笑みの彩が浮かんでいた。

その見つめる先には、黄土色の装飾を施した、赤い翼に青白い肌の人型。頭布を被った顔の上半分は、仮面によって素顔が解らない。だが、その表情には明らかに驚愕の彩が浮かんでいることが理解る。

 

 

「リアライズしちゃえばぁ、データもただの肉体と同意義になるんですけどねぇ。つまりぃ、倒せる手段は腐るほどあるってことですよぉ♪解りますかぁ、ムルムクスモンさん?」

 

 

少女が、まるで友達に話しかける冗談のような―――軽快な口調で、ムルムクスモンと呼ばれた人型―――――デジモンに話しかける。一触即発。空気が、まるで凍り付いているかのようで。

 

 

「……選ばれし子供であろうと………この私に刃向かうことの意味を教える必要がありそうだな!!!!」

 

 

先に動くのは、ムルムクスモン。

鋭利な棘のような指先を力一杯に広げた掌に宿る、煉獄の渦。邪悪な炎であるそれは、少女の姿を鮮明に照らし出す。少女は、怯えることも無ければ、焦ることも無く。ただ、薄っすらと笑んで、冷たい目で炎を見つめる。

そんな彼女の気付かないのであろう。ムルムクスモンの、高笑いが周囲に響き渡る。炎は、更に燃え上がって。

 

 

「くっはは!!死ぬが良い!!ゲヘナ―――」

 

 

「―――攻撃命令、プロセス:5」

 

 

ムルムクスモンの声を遮る、少女の鋭い声。

それと同時に、少女の背後から、ひゅんっ、と風を切るような音が聞こえる。数秒遅れて、少女の短めの茶髪が揺れた。そして、ムルムクスモンの声は、遮られて―――――

 

 

「ぐぅっ……!?ぐぉぉおおおお?!?!?!」

 

 

断末魔と、化す。

 

ムルムクスモンの脇腹から、線が入ったかのように血が染み出し、ぬちゃり、と垂れ落ちる。たちまち、臭いが辺りに広がり始める。ムルムクスモンは、脇腹の『切られた』個所を、手で押さえる。

 

 

「貴様……何を………何をしたぁ!!!!」

 

 

憤怒と、驚愕の入り混じった雄叫びの様な声。

少女は、面白可笑しそうな―――――軽快で、冷酷な笑みを浮かべる。ムルムクスモンは、その笑顔を見て、表情を凍りつかせる。それは――――恐怖に怯える彩だった。少女は、薄っすらと唇を開き、声を発す。

 

 

「シールズドラモン、デスビハインド。」

 

 

「了解」

 

 

少女の声は、感情の無い機械のような声で。

返事の声は―――ムルムクスモンの、背後から。

首に激痛が走り、生暖かい液体が噴出する。呼吸が、出来ない。体の力が、抜けていく。動けない。

 

 

「ぐっ……はっ……ぁ」

 

 

ムルムクスモンの意識は、それっきり――――二度と、戻ることは無かった。体が、小さな素粒子となって、分解され消えていく。やがて、ムルムクスモンがいたという痕跡は、全く無くなった。

 

 

「まっ、こんなもんでしょーかぁ?」

 

 

少女の顔が、一切のおぞましさを抜いた――――本当の意味で、軽快な笑顔となる。その笑顔は、ムルムクスモンが居た場所に立っているデジモンに、向けられていて。

 

 

「面倒ね……」

 

 

若い女性の声で投げやりに答えるその姿――――シールズドラモンは、全身を機械武具で纏った、竜人型。手には、一振りの血塗れたナイフが握られている。この凶器で、ムルムクスモンの首を背後から貫いたのだ。ゴーグルのように顔面上部を隠すスコープは、片目だけが大きいレンズを嵌め込まれている。

まるで、武装兵を思わせる姿だ。

 

 

「あの程度の究極体ならぁ、僕達だけでも処理できますしねぇ♪戦闘能力は低い方なんだしぃ。」

 

 

くるくる、と楽しそうに片足を軸にしてその場を回る少女。黒いスパッツに、袖無しのシャツから伸びる四肢は、月の光を浴びて白く映える。首元に巻いたバンダナが、マフラーのように見えた。

 

 

「寒いのに……そんな格好してたら風邪引くわ。事務所の方に戻りましょう。」

 

 

「そーですねぇ……ヴァイルさんにスープでも作ってもらいましょーかぁ♪」

 

 

その会話が終わると同時、シールズドラモンの姿が闇に溶け込み、全く見えなくなった。それを確認した少女は、くるりと踵を返して歩き始める。楽しそうな鼻歌が、静かな空間に響き渡った。

 

 

 

静寂。

 

 

 

『狩り』は、何ごとも無かったかのように終わる。

 

 



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