「うっ……ぐっ!!!!」

 

 

断末魔を押し殺して尚も漏れる呻き声が、静まり返った町に響き渡る。そして辺りに充満する、“死”の臭い。

死んだ者は、単なる人間。さらに詳しくあげるとすれば、制服を着こなした、学生であろうまだ若い青年である。何らかの手段で“それ”と対峙しようとしたのであろうか。結局は涎の様に口から血を垂らし、切り裂かれた腹から臓腑をざばりと溢し、嫌悪を感じられずにはいられない悪臭を放ちながら、その命を潰されることとなった。

             

 

殺した者は、人間からみて俗にいう“バケモノ”と呼ばれる種類なのであろう。立派な髭を生やした、学者風の男である。目が血走っているが、ここまではまだ良い。“人間”、という種類と同じであろう。バケモノと認識させられる部位を挙げるとすれば、口中から覗くナイフのように鋭い猛獣の牙、そして背中に生やした蝙蝠のソレに似た翼、といったところか。

 

 

「…………」

 

 

バケモノは、己が腕を見つめる。青年を掻っ捌いた原因でもあるその腕は、血によって真っ赤に染まっていた。鋭い鉤爪から紅い雫が垂れて地を穢し、鉄にも似た―――即ち、血の臭いが徐々に徐々に充満していく。それを見たバケモノは、まるで衝動が抑えられないかのように、低く唸る。魔物の唸り。そのバケモノの唸り声を聞く者は、果たして何を連想するであろう。

 

 

「血だ……血。

もっと……ぶっ殺さねぇとなぁ!!!!」

 

 

 

 

そんなバケモノを、遠くから―――――ヒトの範囲内では見えぬ筈の距離から見据える者がいる。

少年、だった。見た目からして、少年の歳はまだ14、15といったところであろうか。猛禽を思わせるかのように鋭い双眼はバケモノを見据えていたが、暫くして八重歯を覗かせる唇が、バケモノを嘲嗤うかのように攣り上がった。

 

 

「けっ……まぁせいぜい死なねぇ程度に暴れてくれや、脳無し馬鹿悪魔さんよぉ?」

 

 

 

 

 

 

Re/call 〜Emerald〜

   第漆話 『世界と人と』

 

 

 

 

 

《???》

 

 

 

 

『――――いです!これ以――は持――!』

 

 

―――――?

何だろう。私は―――何を見ている?

 

 

『破棄し――――うっ、うわ―――――』

 

 

2―――が!『   ――――が暴そ―――』

 

 

懐かしい、でも決して穏やかではない。そんなイメージ。

途切れ途切れだけど―――その鮮烈に焼き付く光景は、何故か身体の震えが止まらない。何だろう。私はこの光景を――――覚えていない?それとも――――知らない?

 

 

ya――aaa――gy――!!―――aa!!』

 

 

!?

闇が集い、視界が暗くなりつつなる中で最後に現われた、それは。途切れが止まった中でハッキリと現われた、それは。記憶の中に鮮烈に焼き付き溶かしつくす、それは。

――――それは。

 

 

 

――――『      』?

 

 

 

 

《朝?》

 

 

 

 

……。

 

…………。

 

………、………。

 

何か夢でも見ていたらしく、私は異様な目覚め気分を体感する。思い出せないが、きっといい夢とは言い難いのであろう。寝汗で髪が湿っていた。寝汗が鬱陶しくて何だか酷く憂鬱だ。まぁ、何にせよ。起きなければならないのだ。起きる前に、何時かを確認しようと目覚まし時計を――――

目覚まし時計、を…………。

 

 

……、……ふむ。

 

 

例えば、だ。

いつもそこにあると思っているものが、いつの間にか無くなっていたら?実は幻覚だったら?そんな話だ。

無いものは無い。あったと思って、無い。どう思おうと仕方の無いことだ。それが偶発的に起こった事でも、必然的に起こった事でも。事象はただ、受け入れなければならない。

 

 

だから。

目覚まし時計が無くなっていたと錯覚するのも、当然なわけであって。仕方無しにデジヴァイスの画面で時計を見ると、既に午後の1時を回っていた。何時も起きるのが午前5時だから、これはある意味感動すべき程の寝坊新記録なのではないか。今日は土曜日。学校は休みである。遅刻(というよりは欠席なのであろう)にならずに済んで良かった。

此処まで来て、私は漸く思い出す。

昨日。私は、璃麻さんの自宅……否、自宅を兼ねた何かの事務所に、泊まらせてもらっていた。お布団とは違って、今一慣れる事の出来ない“ふかふかのベッド”で、璃麻さんに抱きつかれながら寝たのを覚えている。

 

 

いや、関係無い。起きよう。

今度こそ、起きよう。お腹が空いた。

そう思い、動こうとして――――――動けなかった。

 

 

「………………」

 

 

動けない原因は璃麻さんだ。まるで子泣爺の如く私に抱きついてきている。と言うか……だ。私は、この現状を理解した今―――漸く自分の気持ちに気付くことが出来た。

 

 

苦しい。

 

 

「璃麻さん……璃麻さん。起きて下さい」

 

 

声を掛けながら、揺さぶる。しかし、必死に揺らしても一向に起きる気配がしないのは私だけだろうか?まぁ、この場にいるのは私と璃麻さんだけだから、こう感じるのも私だけなのだが。駄目だ、何か馬鹿みたいじゃないか。

それにしても、だ。

 

 

「ん〜……5年……あと5年だけぇ……寝かせてぇ」

 

 

…………“寝起き最悪”。思考はその結論に達したわけで。

私は暫くの間、苦しさに呻く事となった。

 

 

 

 

《暮時前》

 

 

 

 

「……」

 

 

目を覚ますと、コンクリートの冷たさと硬さがBアグモンの背中を伝った。脳裏に思い浮かぶ、昨日の記憶。

あの、蒼い自分と同じ恐竜型のデジモンに敗北した―――のか?そんな気がしてならない。

 

 

「やっと起きたわね」

 

 

この声。昨日の記憶に浮かび、響き渡る声と同じ。即ちは、蒼い恐竜型。Bアグモンは、身をがばっ、と起こした。身体の所々に、軽い火傷の跡がある。が、それは気になるようなものでもなかった。

目の前に居る、自分を負かしたデジモンを睨む。

 

 

「警戒しないでよ。別に敵ではないわ」

 

 

蒼い恐竜型は……ふぅ、と軽く溜息をついてから、Bアグモンを見つめる。発言に相応しく、その眼差しに敵意は微塵にも感じられない。昨日のこともあってか、Bアグモンは怪訝そうに見つめ返した。

 

 

「私は……コマンドラモン。あんたの味方よ」

 

 

「味方……?」

 

 

完全に身を起こして、辺りを見回す。その動作をこなす中で、Bアグモンは別に自分が拘束されていないということに気付いた。敵を捕まえる際、拘束もしないでそのままにするような馬鹿がどこに居ようか。そう考えつつ、Bアグモンは五感を改めて働かせた。

瞳に蒼い空と天下に広がる町並みが映り込み、鼻で人間界の都会の汚れた臭いを嗅ぎ、耳で街の人々や様々な機械により奏でられる鬱陶しい騒音を聞き取る。足の裏にはコンクリートの冷たさと堅さを感じ、口の中には僅かながらも血の味が広がっていた。

 

 

「何処だ。此処は」

 

 

「人目に付かない建物の屋上よ。私達デジモンは、見つかったら騒がれてしまうでしょう?」

 

 

説明的でありながらも酷く曖昧な答え方だが、構うまい。

騒がれる――――考えてみればそれもそうである。何せ人間と言うのは、些細なことで無駄に騒ぐ生き物だ。良く言えば元気が有り余っているようであり、悪く言えばこの上ないほど騒々しい。Bアグモンとしては、美音のような大人しいタイプの人間がテイマーであるということが、何よりも幸いであった。

 

 

「……来たわね」

 

 

コマンドラモンが地上を見下ろしながら、ポツリと呟く。その両手には、しっかりとアサルトライフルが構えられていた。人を狙撃するのか、とぼやぼや考えていたBアグモンだったが、何気なくコマンドラモンの視線の先を追っていった先に見えた予想外のものに、酷く驚いた。

 

 

「……美音!?」

 

 

美音。自分のパートナー。隣でお目にかかったことの無い面の少女が、美音に話を掛けている様に見える。友達だろうか?よく解らないが、美音もそれなりに応じているようだ。コマンドラモンは、美音の隣の少女を顎で示しながら、Bアグモンに告げる。

 

 

「あれはリオ。私のパートナーよ」

 

 

「…………組んだ、と言うわけか」

 

 

テイマー同士が組めば、必然的にデジモン同士も組むということになる。しかしBアグモンは、組む相手が自分を負かした相手だと考えてしまいと、どうしてもげんなりとしてしまう。一方のコマンドラモンは、別に気にした訳でもない様だ。表情一つ変えず二人の様子を観察し……不意に、Bアグモンに声をかけた。

 

 

「戦う準備しときなさい」

 

 

「?」

 

 

きょとんとした顔を作るBアグモン。

コマンドラモンが、マシンガンを構えながら告げた。

 

 

「璃麻たちは……知らずに敵の真っ只中に入ったわ」

 

 

 

 

《同刻》

 

 

 

 

「あっ……あははぁ……だっ、大丈夫ですかぁ…………?」

 

 

「……自分でやっておきながら何を」

 

 

機嫌が悪い、と言うよりは気分が悪い。結局、璃麻さんが起きたのは2時半。当然、午後の。寝たのは確か昨日の午後、11時だった。つまり、璃麻さんの睡眠時間は総計15時間と30分。寝過ぎである、と誰もが威風堂々云える時間であろう。

それにしても、胸が内側できゅうきゅうと痛んだ。息を吸うのがちょっとだけ……否、苛烈なまでに辛い。それほどまでに体が圧迫されていた、と言うわけだ。きっと、更に力が加われば体中の骨が砕かれていたに違いない。

 

 

「いやぁヴァイルさんが起こしてくれなかったから……あーヴァイルさんは今あっちの国へ戻ってるんでしたっけ……」

 

 

「ばいるさん?」

 

 

「い、いやややや!!気にしないで下さいってばぁ!」

 

 

その人物を否定する璃麻さんの顔は、心なしか薄っすらと赤みを帯びていた。恥ずかしがっている?よく解らないが、こんな璃麻さんを見るのも……初めてである。少なくとも、私は。

 

 

2人で歩く街中は、冬に近付いていることを示すかのように、少々寒い。もうすぐコタツと、テーブルの上に置く蜜柑とお煎餅とお茶、後は囲炉裏に使うための薪を多く用意しておかなくてはならない。

我が家にストーブは無い。置こうにも、灯油の配達車が林道を通らないから意味が無い。こういうところでは、森の中に建てている家と言うのは不便だと思う。まぁ、空気の汚れている街中に住むより数倍良いのだけれど。焚き火は何時も木の捧を擦って起こしているが、Bアグモンは炎が吐けるから、今年はあまり苦労しないでも済みそうだ。まぁ、それはそれとして。

 

 

「着きましたよぉ」

 

 

「……」

 

 

着いた場所はハンバーガーショップ。お饅頭みたいな形をしたパンとパンの間にハンバーグを挟む、何とも不気味で奇怪で謎めいた料理の専門店。入ったことは2〜3度ぐらいしかない。油で揚げた棒状のジャガイモ料理、フライドポテトならまだいい。だが、態々パンとパンの間にハンバーグを挟む意味が解らない。そこに重要な意味があるのだろうか。幾ら思考を捻ったところで、それは私には理解できないものなのであろう。

 

 

璃麻さんが起きたのは2時半。それまで、私は動けずにいた。それは即ち、朝ご飯及びお昼ご飯を抜かしているということになる。現時刻は3時を回っている。とてもではないが、お昼時とは言えない。微妙な時間帯だと、気持ちも微妙になる。しかし、何か食べないといけない。しょうがない。一番安いのを食べよう。

 

 

「いらっしゃいませー」

 

 

店員さんの見せ掛けだけの優しい笑顔が出迎えてくれる。私は、璃麻さんの方向を見た。璃麻さんは、「どうぞどうぞー」と言わんばかりの微笑を返してくる。よし、注文して問題は無さそうだ。

 

 

「……ハンバーガーと烏龍茶、一つずつ下さい」

 

 

「えぇっと、リブサンド2つと半熟照り焼きタマゴバーガー4つ、それとメロンソーダのLサイズ、後はふるポテのバター醤油味を一つずつくださぁい♪」

 

 

「はい、ではご注文のご確認をさせていただきます……」

 

 

…………すらすらと注文したものを正確に読み上げる店員さん。璃麻さんの食す量も畏怖すべきものがあるが、この店員は更にすごい。ここまで正確に読み上げるとは……かなりの手練なのであろうか?

璃麻さんは私の注文分も含めて5千円札で支払い、お釣りと共に番号札を貰った。あれだけ頼めば作るのにもやはり時間がかかるらしい。璃麻さんと私は、1階とは違って、がらんと静まり返った2階の席に座ることにした。1階が非常に混雑していて2階が誰も居ない、というのも変な話ではあるが。まぁ、深く気にしていてもしょうがないか。席に座ると、璃麻さんが意味ありげな視線を私に向けてきた。

 

 

 

「さて、と……ちょっとお勉強しましょうかねぇ。

みおちゃんは、“でじたるもんすたぁ”が世界中の人達にどれぐらいの影響を及ぼしているか、分かりますかぁ?」

 

 

唐突に出された話題は、そんなものだった。

地域や国の段階を通り越していきなり世界領域か。世界の人口が60億と考えて、一厘の割合で考えてみても、実に6千万の人口に影響が及んでいるということに成る。それが単なる怪我などで済む被害なのか、或いは……この前戦ったボアモンの時の様に、“喰われた”のか。解る筈もない。世界のことなんて知らん。

 

 

「……分かりません」

 

 

「まぁ……ルーキーさんにはちょっと解らないですかねぇ。あ、馬鹿にしてるんじゃ無くて」

 

 

なら聞かないで欲しい。そう言うのは無しだろうか?

それとも、デジモンを知る側の人間としては最低限知っておかなければならないことなのだろうか。それならば話は少し違ってくるものがある。何にせよ、聞いて損はないのであろう。

 

 

「45億以下」

 

 

「はい?」

 

 

挙げられた数字。45億。450000000。

この時点で、私はそれが何なのかさっぱり解らない。

しかし、璃麻さんは、さらりと。

本当にさらりと、信じられないことを口にする。

 

 

「今の地球上の人口。45億以下ですよぉ」

 

 

「……っ!?」

 

 

それを聞いて、私は思わず息を呑んでしまう。

そんな馬鹿なことがあるのだろうか?

つまりそれは、15億もの差。4分の1。4人に1人。それだけの人間が、デジモンに……殺されている、だと?

信じ難いことではある。しかし、それを嘘と断言できる決定的な要素は何一つとして私には存在しなかった。

 

 

 

 

「お待たせしましたー」

 

 

階段を上がって来た店員から、注文品が全て置かれた2つのトレーがテーブルに置かれる。包みを剥がして、ハンバーガーを一口だけ齧ってみる。まぁ不味くもないとは思うが、美味しいとも言い難い。向かいでは、璃麻さんが美味しそうに喰いついていた。

 

 

食べながら、前に倒したボアモン、ドクグモンを対象に考えてみる。

思い出すだけでも甚だ不愉快になるのだが、あれは、人間を食べた後だった。その前のドクグモンにしろ……私を誘き出してその口から吐かれる粘着性の糸で私を絡めとリ、捕食しようとしていた。Bアグモンに助けられたのが幸運して、私は生き延びることが出来たのだが。

 

 

仮定 壱:デジモンは出現すると同時、理性を失う。

仮定 弐:それを取り戻すには人間を捕食する必要がある。

仮定 参:このようなことが世界中で起きている。 

仮定 肆:その歴史が数年数十年続いている。

 

以上の仮定から算出すべき結論:現在世界中に知られている、改された偽りの人口、60億以上。そして、デジモンと言う隠れた脅威に抉られた実際の人口、45億以下。この二つの数字列に15億以上という数値差があったとしても納得出来る範囲にはなる。

こう考えて、間違いは無いであろう。

 

 

「んぐんぐ……デジモンはこちら側の世界に現出すると共に……予め持っていた理性とかが消えてしまうんですぅ。どーゆーわけか、人間を食べるとそれが復活するってぇわけですよぉ。ここまでは知ってますねぇ?んでぇ、食べちゃった後はぁ……その後も引き続いて殺したりとかが多いですねぇ。ほら、殺人快楽症ってのと同じですよぉ」

 

 

食べながら、璃麻さんは言う。

とんでもなく迷惑な話だ。

つまりは……映画などでお馴染み、人間を襲う化け物。インベーダー、とでも言ったところか。いや、それが本当に意味の合う言葉かどうかはよく分からんが。或いはそういった妖怪等でも喩えられるかもしれない。

 

 

「僕らがそれを止めるんですよぉ」

 

 

改めて考えて……その重要さ、そして危険さが初めの予想の何倍にも跳ね上がる。人々を護るための、圧倒的な戦い。何時何処に現るかも解らぬ化け物を、私達は倒さなければならない。私達の力は……何処まで通用するのであろうか。更なる強敵がいる、という可能性は一切否定できない。ダークドラモンがいい例だ。まぁ、それはそれとして。

 

 

 

 

さっきから気になっていたこと。

あれだけの量の違いが有りながら、一緒に食べ始め、同時に完食する、という結果に戦慄きながらも、トレーを返却台に、ゴミをゴミ箱に片して――――私は、辺りを一周見回してみた。

人が居ない。がらんとしている。私たちだけ。何故?

璃麻さんは――――何とも思っていないようだが。

これはおかしくないだろうか。幾ら何でも。

 

 

「んっ?どーかしましたかぁ?」

 

 

「いえ……何故、1階はあんなに混み合っていてこの階は私達以外に誰も居ないのかが少し気になりまして」

 

 

「えっ?」

 

 

言われて、璃麻さんは神妙な顔をしながら辺りを見回して。

……とんでもないことを口にした。

 

 

「お客さんいっぱいいますよぉ?」

 

 

「?」

 

 

おかしい。何故だ。誰も見えない。誰も居ない。此処には2人だけ。そのはずなのに。何故。何故。何故だ?

冷静に考えてみろ。これは……璃麻さんが錯覚を見ているのか、それとも私の目が節穴になってしまったのか、という2種の選択肢に搾られる、ということになる。そこまで見積もってから確認する手立てを考える。

何、簡単なことだ。物理的に物を言わせればいいだけのことである。今の人間の科学力ならその程度の証明は容易であろう。半ば強引な形になってしまうが、私は、璃麻さんの手を取って立ち上がらせた。

 

 

「あわわっ……」

 

 

璃麻さんがおどけた風に見えなくも無いリアクションをする。

隣の席。当然のことながら、誰も居ない。

この点で決定的な例を挙げるとすれば、ソファ席だ。私の視界には、全く変形せず少しだけ盛り上がった形のソファ席が憮然と並んでいる。普通に考えて、人が座っているのにソファが変形しないのはおかしい。必ず、数百グラムの重みから変形するように出来ているハズ。しかし、もし璃麻さんが幻覚を見ているなら、いくら私が「ソファが変形していない」と指摘しても多分解らないであろう。

 

 

ならば、どうするか。

見るのが駄目であれば、触らせてみればいいのだ。

璃麻さんの手を掴んでいる。人の手は鋭くも硬くも無いし、ゆっくりとした速度で振って、何かに当たったとしても。その当たったモノに伝わる衝撃は非常に緩い。即ち、人の手をゆっくりと振って―――もし、其処に人が居ても。スッパリと斬れる事も、怪我をすることも無い。

 

 

「……お客さん見てますよぉ!?」

 

 

今一度、証明する必要がある。

私は、隣の席――――誰も居ない席で、もし其処に人が居れば確実に当たる方向を確信して。

璃麻さんの手を、振り下ろした。

 

 

「!!」

 

 

振り下ろしきる。斬ったのは、空気だけ。

その途端。璃麻さんの表情が凍りつく。

そして、訝しげに辺りを見回し……深く、深く溜息を吐いた。

 

 

「人避けの瘴気に……幻覚の結界ですか。これはこれは……すっかり、騙されましたね」

 

 

やはり、か。璃麻さんは、半ば苛立だしさに歪んだ顔を露骨に見せ付けつつ、先ほどまでとは打って変わった冷め切った声で呟いた。そして、デジヴァイスを握る。突如として、電磁音が鳴り響いて反応し始めた。

もう片の腕が……腰に付けたウェストポーチの中を探り。中から、黒いモノを取り出す。

 

 

――――取り出した黒いモノは、

 

 

銃の形をしていた。

 

 

 

本物?いや、そんなはずは無い。日本国には“銃刀法違反”というモノが存在している。……しかし。しかし、だ。微かに感じ取れる硝煙と火薬の臭いは一体何だ?何なのだ?……今考えていても仕方、無い。私は、疑問を心の隅に追いやり、周囲に気を配る。

 

 

 

「……いい加減顔を見せたらどうですか?」

 

 

「…………」

 

 

鋭い、璃麻さんの声。それと同時に、足音が聞こえる。

階段から、上がってきた……それは。

学者服を身に纏い、目を血走らせ、立派に生やしている口髭の中から、唇と鋭い牙をチラつかせるそれは。

唐突に、私達に告げる。

 

 

 

「人をよぉ……殺さねぇか?」

 

 

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