「てめぇ……」

 

 

不意打ちを受け体制を崩したロワが、焦げた腕を押さえながら攻撃の元凶となる者を睨む。その貌は、邪魔されたことに対する怒りで塗り潰されていた。憎悪と殺気の混ざり合った、絶望的に歪んだ威圧が青年に襲い掛かる。

が、対する青年は――――その威圧を軽く受け流している。ロワの手中から開放され、力なく倒れた美音の体を、片腕で抱き起こす。貫かれた場所から溢れ出す血が、青年の白いジャケットを紅く染め上げた。

青年は、美音の体をぎゅっ、と強く抱き直しながら、ロワを睨む。その黒い長髪は、どこからか吹き付ける僅かな風でさらさらと靡き。同じように長い前髪の隙間から覗くその黒い瞳は。

 

 

「…………っ」

 

 

ロワが、まるで苦痛を与えられたかのように顔を歪ませ、僅かに身動ぎする。その、一切の曇りの無くナイフのように鋭い双眸は、それだけでロワの威圧を凌駕していた。圧倒していた、超越、していた。

青年の、細くも決して脆さを持ち合わせない腕が、スッ、とロワの正面に向けられた。それだけで、ロワの表情が凍りつく。僅かなブランクが空き、蝙蝠の様な翼がはためき、ロワの体が僅かに浮いた。

 

 

「エフェクト……『ロップモン』!!」

 

 

掌から淡い光とともに、冷気の塊が放出される。絶対零度とも言えるその凍える気弾は、空気を凍て付かせながらロワの体を正確に射抜こうと、直線軌道に沿って迫りくる。

ロワの咄嗟の判断が、回避行動ではなく。防御体勢を作り出す。翼で体を覆い、盾代わりにした。その直後、翼に気弾が直撃する。貫くことは無かったが、翼の面積の大半が気弾の直撃した部分を中心とし、一気に凍りついた。その結果に、ロワが驚愕する。

 

 

「ちぃっ……」

 

 

“ソロモン72柱”25番魔ラボラスモン……。覚悟しろ」

 

 

どしゃっ、という音と共に地に落ちたロワ――――ラボラスモンに止めを刺すべく、青年は次なる技を発動させる。

しかし、ラボラスモンの動きは思いの外、速かった。

 

 

「クレイムッ……スマッシュ!!」


ラボラスモンの強靭な左腕が、地面を思い切り殴りつける。地響きと、爆砕された地面から舞い上がる塵埃。それに加えてロワの咄嗟の行動に軽く驚いたことも手伝い、青年の動きに多少の鈍りが出来た。
その、青年の攻撃動作に生じた僅かな隙。それは、ラボラスモンがその場から逃げ出すのに十分な時間稼ぎとなっていた。後退り、哄笑を浮かべながらビルから飛び降りる。青年は少々焦った様子でラボラスモンを追おうとしたが、その腕に抱きしめた、弱り切った少女の存在に改めて気付き、追うことを断念した。

 

 

「…………」


幸いか、倒れて――――退化したBアグモンに、そこまで深刻なダメージは無い。デジモンであるという前提的な要素も含んでのことだが、応急処置を施せば数時間で完全治癒する。

 

 


だが、青年が抱いた、美音の小柄な身体は。

体躯に見合ってか、まるで羽のように軽くて。
流れ出る血は、少女の体温と同じように暖かくて。
つまりそれは、少女の命が確実に“死”に近付きつつあることを証明しているかのようで。青年の貌に、焦りの彩は無い。しかし、迅速に処置を施し始める。ジャケットのポケットから通信機を取り出した。

 

 

 

「こちら……第一地区隊長、敷木陽太。医療班、至急出向いてくれ」

 

 

青年――――陽太は、気を失っているBアグモンを隣に寝かせながら、美音をもう一度、強く抱き直した。

急速に迫り来る、圧倒的な“死”から、彼女を護るかの様に。

 

 

 

 

 

Re/call 〜Emerald〜
  玖話 『増援』

 

 

 

 

 

「そらよぉ!いつまで逃げっ気だ、あぁん!?」

 

 

少年は―――-ルドラ、と名乗ったか。彼の哄笑とリンクするかのように繰り出されるベジーモンの殴打攻撃を、璃麻とシールズドラモンは時として避け、時として隠れ、時として弾き返して凌いでいる。ベジーモンに躊躇いというものはまるで無く、不気味な笑みを浮かべながら無差別に攻撃する。それが、例えシールズドラモンであろうとも、自身に比べれば遥かに脆い存在である、璃麻であろうとも。

 

 

「このままじゃ……埒が明かないわ!」

 

 

シールズドラモンが、瓦礫の山と成り果てた廃ビルの陰に身を潜めながら、離れた場所で脇腹を押さえながら息を荒げる璃麻に目配せする。璃麻は、口端から垂れる血を拭いながら、焦った表情を浮かべていた。

脇腹に受けた、ベジーモンの棍棒を振るうかのような一撃。内臓が激しく掻き混ぜられるかのような強い衝撃と激痛は、璃麻の体力を大幅に奪い取っていた。朦朧とし、手放してしまいそうな意識を必死に繋ぎ止めながら、対応策を練り上げる。

確かに、普段と比べれば諧謔的なまでに焦っているが、彼女にとってそれは冷静さを失う要因とはならない。パニックを起こして必死に逃げ回っているかのように見せつけ、手放してしまった銃を密かに回収出来たのは大きなプラス要素である。最後の装填後、弾丸はまだ1発しか使っていない。本来は護身用として作り出されている、この銃――――ディファイアント・デリンジャーという機種は、小型で尚且つ構造が非常に容易である反面――――弾丸を2発しか装填出来ないという、大きなリスクを背負っている。

 

 

(難しいかな、このままじゃ……)」

 

 

呼吸を和らげながら、璃麻は思う。

この場面において、どういった行動をとるべきか。まず、未だに相手の防御力を計れていない。これが大きな阻害要素となってしまっている。果たして、あの異常なレベルの相手を不意突きの一撃で仕留められるのか。少なくとも、通常のベジーモンの防御力ならば、それこそ1発のみで粉微塵に爆砕させることが出来るのだが。それに、力を込めつつ正確な狙いを定めてから引き金を引かないと、銃弾は虚しくそこらのビルの外壁か、アスファルトの地面を爆ぜ抉るだけになってしまう。破壊力を上げた分、反動が強烈なのだ。

ルドラを殺すという選択肢もあるにはあるのだが。あれはどう見てもただの人間、それか戦闘能力の極めて低い人型のデジモン、どちらかだ。それを撃つのは流石に躊躇いがあったし、何よりも生け捕って洗い浚い敵の情報の全てを吐かせる、という後の大きな意味を成す選択肢を潰すこととなる。怪我だけさせて身動き出来なくする、というのはこの銃では非常に難しい。否、それ以前にルドラのことは考えていても仕方ない。問題はベジーモンの方なのだ。よって、初めからこの考えは除外しておく。

 

 

「おらおらぁ、そこぉ!!!つまんねぇだろーがよぉ、もっと楽しませてくれなきゃなぁ?ひゃーっはっはっは!!!」

 

 

「ちっ……!」

 

 

隠れた場所を攻撃された瞬間とともに、深く考えるのは止めた。別の場所に隠れながら、攻撃動作におけるポイントを自分からシールズドラモンへ向けてみる。デジモン種である彼女の方が、戦闘能力は断然高いのだ。

ただ、ルドラが言っていた通り。シールズドラモンの攻撃に、破壊範囲というものは付かない。超硬度に作り込まれた必殺威力のナイフだけを武器とした、近接戦闘。それがシールズドラモンの戦法なのだ。璃麻の今までの戦闘経験から割り出して、彼女の繰り出すナイフの一撃ならば、あのベジーモンを易々と切り裂けるという確信は、ある。しかし、この局面。ベジーモンの、あの威力の攻撃を掻い潜り、接近することが出来るのか。その望みは、絶望的なまでに薄い。

 

 

「このっ!」

 

 

 

シールズドラモンの、上擦った声が聞こえた。

他にあるとすれば。通常のシールズドラモンと違って、璃麻の相棒は光学迷彩を使うことの出来る、少しだけ強化された個体である。だが、その機能がこの場面で役立つ確率は、極めて低い。

ならば、どうすればいいか。

 

 

「……」

 

 

爆発する弾丸。切り裂くナイフ。

この2つの要素を重ね合わせたときには、璃麻はシールズドラモンに合図を送っていた。璃麻は、いきなりルドラ達の視界に躍り出、確実に近づくための方法を、導き出す。

 

 

「おおっ!?はっはっは!!ようやく死ぬ気にな――――」

 

 

「黙れオカメミジンコ」

 

 

銃を取り出した瞬間。ルドラの顔に、驚きが走る。その顔を見た途端に、この銃の威力ではベジーモンを仕留められないと、直感的に感じることが出来た。しかし、璃麻はベジーモンを撃つという気など、一切持ち合わせていない。

狙いは――――足元。

引き金を、引く。激しいマズル・ラッシュが視界を灼き、激しい爆音が雷鳴の様に轟く。そして、放出された小さな弾丸が、地面にぶつかり――――爆炎と爆風と爆熱を引き起こした。

 

 

「なぁぁぁああっ!?うぐっ……かはぁっ!!」

 

 

ルドラの絶叫が響いたかと思えば、激しく咳き込む声。璃麻目掛け、無造作に蔦を振り回そうとしていたベジーモンの動きが、数刻の間だけ――――完全に、停止する。

相手の視界、そして聴覚を完全に殺す。それが、璃麻の狙いだった。それはあまりにも呆気無く、成功したのだった。一瞬だけ意識を手放したが、問題ない。ルドラとベジーモンは……果たして、真上を通り越した飛影に、気づくことが出来たであろうか?璃麻は、不敵な笑みを浮かべる。

 

 

「デス……ビハインド!!」

 

 

その声が聞こえたのは、ベジーモンの真後ろからだった。

そして、肉を裂く音が響き渡る。続けて、ベジーモンの断末魔。ルドラは、何が起こったのかを全く理解していない。その単純な思考回路で理解できる、筈が無い。璃麻の考えは、的中しているかのようだ。やがて、視界が晴れ……ルドラの、驚いた顔が見え始める。

 

 

「んなっ……てめぇ!!!!」

 

 

憤怒の声。それを璃麻は、嘲笑う。

 

 

ベジーモンの腹から、背中に刺されたナイフの切っ先が突き出ていた。血が噴き出し、泡を拭いているベジーモン。その姿は、まるで漫画から飛び出てきたキャラクターのようで、やはり、妙に滑稽だった。

 

 

「……なめんなぁ!!おらっ、さっさとヤれ、ベジーモン!!このファッキンが!」

 

 

ルドラの怒声が影響したか、ベジーモンはナイフが突き刺さったままの状態で、蔦を乱暴に振り回した。璃麻には当たらなかったものの、ナイフを突き刺し、ベジーモンから離れていたシールズドラモンに、直撃する。ビルの外壁に叩き付けられ、そのまま動かなくなった。

 

 

「シールズドラモン……!ぁっ……」

 

 

璃麻が、シールズドラモンのところまで走ろうとして。

そのまま、かくん、と体勢が崩れ落ちる。激しく咳き込み、血を吐き出した。意識を保つだけで精一杯だ。全くの予想範囲外だった。生命力の高低はともかく、“核(デジコア)”を破壊されて、全く平気だとは。致命的な、誤算が予期せぬ方向から迫り来た結果――――勝機が、一気に遠ざかる。それを考えた途端、体は、うつ伏せに倒れこんでしまう。思うように、体が動かない。

 

 

ナイフを自力で抜いたベジーモン。その、グロテスクに裂けた胸部は、まるで早送り映像のように、数分足らずで完全に塞がった。あまりにも、異常過ぎる光景は。璃麻の、己に対する愚鈍さと悔しさを一気に湧き上がらせていた。

 

 

完全な、油断だ。こんな敵は、今まで一度もお目にかかったことが無い。シールズドラモンで対処しよう、という考えを持った時点で、敗北は決まっていたか。そんなことを今頃になって思ってしまっても、仕方の無いことなのだが。それなりに敵のレベルが判れば――――ダークドラモン、或いはその途中経過に値する、“タンクドラモン”に進化させて、対応することが出来たのだが。今となっては、全てが手遅れだ。

 

 

「手間取らせてくれたなぁ……?俺ぁてめーらをとっととぶっ殺して挽肉にして、ラボラスモンのおっさんがあの雌豚殺さねぇよーに釘刺しに行かなきゃならねーんだからよ。潔く死ねや」

 

 

崩れ落ちた璃麻の頭を靴で踏みながら、ルドラが勝ち誇ったような、嫌らしい笑みを浮かべて見下ろす。璃麻の表情には確かに、悔しさの彩が浮かび上がってはいた。しかし、それよりも気になることがある。

 

 

「釘刺し……だと?」

 

 

そう。今の発言について、だ。

 

 

「あぁん?わかんねーか?そんじゃぁ冥土の土産に教えといてやるよ。あのアマだ、外人みてぇな緑色の目ん玉に黒髪でマナイタみてぇな乳の。犯すのかブッ解体(ぱら)すのかどーすんのか知らねぇけどさー、ウチのお偉いさんが欲しがってんだよ。んま……別に体さえありゃ死んでてもいいらしいんだけどさ……でもそれだとタノシミってもんがねぇだろ?」

 

 

誰に聞かせるでもないかのように、淡々と紡がれて行く言葉。それは、璃麻に深い後悔を与えるには十分すぎる内容となって構成されてゆく。ルドラの狙いは――――美音、か。

シールズドラモンを見やる。彼女の体は今すぐには動きそうに、ない。ダメージが強過ぎたか。色々な“後悔”が重なり合ったためかはどうか走らないが、何とも言えない、しかし決して宜しくない様な感情に、心が染められていく。

 

 

「んじゃ……ここらで終わりにすっかね」

 

 

璃麻の視界の隅で、ベジーモンが蔦を器用に使って自分に近付いてくるのがわかった。焦る精神を落ち着かせながらも、思考は恐ろしい速度で成す術を必死に模索する。しかし、それが望むべき回答を割り出すための決定的な要素とは、成り得ない。

それでも璃麻は、諦めない。

そして、辿り着いた回答が、1つ。

 

 

「あばよ……あの世で恨みやがれな」

 

 

ベジーモンが、思い切り2本の蔦を振り上げる。振り下ろされるその蔦のそれぞれの到達点は――――首と、胸。痛みで動かない体と、頭部を踏み付けられた状態でそれを回避することは不可能。振り下ろされるまでに、何かが起こらなければ璃麻という1つの命が粉砕される。

 

 

辿り着いた、回答。それは――――

 

 

 

 

「……キキャァァァァァ!?!?」

 

 

「なっ……何ぃっ?!!?」

 

 

 

“奇跡”。

 

 

 

 

 

 

断末魔を上げるベジーモンの蔦は、璃麻に届かない。

無理もない。2本の蔦は、鋭利な断面を残して――――後方に、大きく吹き飛んでいた。その結果にルドラは驚愕し、璃麻はきょとんとした顔を浮かべる。そして、その璃麻が望んだ“奇跡”を実現すべく、その場に新たに現れる、2つの存在。

 

 

1つは、漆黒の竜型。蝙蝠の様な翼に、鏃の様に鋭い尾。そして、何よりも紅く、血色に輝く――――その爪、と4つの鋭眼。その姿は、正しく竜そのものであり――――まるで、悪魔の様。

そして、もう1つは――――

 

 

 

 

「救世主見参……っつーのは大袈裟か?」

 

 

少年、だった。

焦げ茶色の髪に、底知れぬ闇を秘めた紅い瞳の、女と見間違えそうな程に整った顔立ち。着ている制服の上からでも分かる華奢な体躯から、その少年が璃麻と同い年程度であろうことが窺える。そして、その腰には――――璃麻と同じく、デジヴァイスを付けていた。

 

 

「ちぃっ!新手かよ!!」

 

 

漆黒の竜、そして少年の登場に、ルドラが驚愕しながらも憤怒の声を上げる。取り乱していたかのように見えたベジーモンの斬れた筈の蔦は、まるで雑草が生えるかのように徐々に徐々に再生していく。

そして、ベジーモンの蔦は完全に元の形へと復元される。すっかり少年に気を取られているルドラの、踏み付けていた足から漸く解放された璃麻は、現状の行く末を――――固唾を飲んで見守っていた。

 

 

「ぶっ殺してやる……ベジーモン!!!!」

 

 

蔦を伸ばして、少年を打ち砕こうとするベジーモン。しかし、少年は――――涼しい顔を浮かべたままだった。

 

 

「デビドラモン、やれ!」

 

 

少年の、鋭く発せられた命令。

それに従うかのように、デビドラモン――――竜型が、素早く動いた。

紅い爪から、まるでネオンの光のように暗い輝きが、発せられる。

 

 

「クリムゾン……ネイルッ!!!」

 

 

「!??」

 

 

獣の咆哮にも似た発動宣言とともに、デビドラモンの爪が閃く。

たったの一振りだけで、ベジーモンの蔦を半ばから2本纏めて易々と切り裂く。そのまま、デビドラモンはベジーモンの本体に接近し、もう一方の腕を振り上げる。次の瞬間には、二振り目が――――

 

 

ベジーモンの頭部を、綺麗に打ち飛ばしていた。

 

 

「なっ……なぁ―――?!?!」

 

 

ルドラの驚愕した声が、静かに響き渡る。

上顎という番を無くした下顎からは青色の血が噴出し、細い舌がだらんと垂れ下がる。

余りにも圧倒的な、デビドラモンの必殺の爪撃。それを見た璃麻は、心底驚いた表情を浮かべていた。

 

 

「キ……キャ、キキャキャ……」

 

 

ベジーモンが、下顎だけで奇声を発する。そんなベジーモンを見たルドラは、舌打ちをし、踵を返したかと思うと全力で走り始める。それが意味するものは、恐らく――――『撤退』。

ある程度距離を取ったところで、ルドラが振り返る。それと同時、未だに両腕と頭部を失ったままのベジーモンの体が、まるでバーチャル映像でも見ているかのように、一瞬の内に消え去った。

ルドラが、怪訝そうな顔をしながら声を上げる。

 

 

「今日は大人しく退いてやる……ったく、何者だよてめぇは!」

 

 

「何者、っつわれてもな……。俺は――――滝村琉芽(たきむら りゅうが)っつーんだ。覚えてぇなら覚えとけよ」

 

 

少年――――琉芽が、答える。

それを聞いたルドラは忌々しげに路上に唾を吐き、琉芽に中指を突きたててから全速力で逃げ去っていった。

 

 

琉芽は、それを最後まで見送ることもなく、倒れたままの璃麻の元へと歩む。そして1つ溜息を吐くと、璃麻の体をゆっくりと抱き起こした。璃麻は暫く呆けた表情を浮かべていたが、やがて、焦りを浮かべながら、必死に何かを喋り始める。

 

 

「みお……ちゃっ、が……けほっ、ビルの、上……」

 

 

必死な璃麻の訴えかけは琉芽に通用したらしい。

琉芽は一瞬だけ、きょとんとした顔をするが。次の瞬間には、優しげな微笑を浮かべていた。

 

 

「大丈夫……コマンドラモンが色々と連絡してくれてな……美音って子は陽太さんが助けたよ」

 

 

璃麻が、安心しきった顔を作りながら目を閉じ、体中の力を抜いた。数秒後には、安らかな寝息を立て始める。相当疲れ、そして緊張し切っていたのであろう。その寝顔は、疲弊と安堵の入り混じった、少女らしいモノだった。

 

 

「ったく……無茶ばっかりするよな、お前って」

 

 

琉芽は、璃麻を背負い、立ち上がる。少し離れたところで、琉芽と同じようにデビドラモンが気を失ったままのシールズドラモンを抱えていた。それを確認した琉芽は、デビドラモンの背の上に座り込んだ。

 

 

「運んでくれ。このまんまじゃ拙いだろ?」

 

 

「……ああ」

 

 

デビドラモンが、こくりと頷く。

そして、背後の翼を羽撃かせたかと思えば、一気にその場から飛翔する。思い出したかのように、直前まで居た場所で塵埃が吹き荒れた。瓦礫の山に、それらが薄く降り注ぐ。

 

 

空にはすっかり、星が綺羅綺羅と見え始めていた。

 

 

 

Re/call 〜Emerald〜
   玖話 『増援』

 

 

 

 

 

「そらよぉ!いつまで逃げっ気だ、あぁん!?」

 

 

少年は―――-ルドラ、と名乗ったか。彼の哄笑とリンクするかのように繰り出されるベジーモンの殴打攻撃を、璃麻とシールズドラモンは時として避け、時として隠れ、時として弾き返して凌いでいる。ベジーモンに躊躇いというものはまるで無く、不気味な笑みを浮かべながら無差別に攻撃する。それが、例えシールズドラモンであろうとも、自身に比べれば遥かに脆い存在である、璃麻であろうとも。

 

 

「このままじゃ……埒が明かないわ!」

 

 

シールズドラモンが、瓦礫の山と成り果てた廃ビルの陰に身を潜めながら、離れた場所で脇腹を押さえながら息を荒げる璃麻に目配せする。璃麻は、口端から垂れる血を拭いながら、焦った表情を浮かべていた。

脇腹に受けた、ベジーモンの棍棒を振るうかのような一撃。内臓が激しく掻き混ぜられるかのような強い衝撃と激痛は、璃麻の体力を大幅に奪い取っていた。朦朧とし、手放してしまいそうな意識を必死に繋ぎ止めながら、対応策を練り上げる。

確かに、普段と比べれば諧謔的なまでに焦っているが、彼女にとってそれは冷静さを失う要因とはならない。パニックを起こして必死に逃げ回っているかのように見せつけ、手放してしまった銃を密かに回収出来たのは大きなプラス要素である。最後の装填後、弾丸はまだ1発しか使っていない。本来は護身用として作り出されている、この銃――――ディファイアント・デリンジャーという機種は、小型で尚且つ構造が非常に用意である反面――――弾丸を2発しか装填出来ないという、大きなリスクを背負っている。

 

 

(難しいかな、このままじゃ……)」

 

 

呼吸を和らげながら、璃麻は思う。

この場面において、どういった行動をとるべきか。まず、未だに相手の防御力を計れていない。これが大きな阻害要素となってしまっている。果たして、あの異常なレベルの相手を不意突きの一撃で仕留められるのか。少なくとも、通常のベジーモンの防御力ならば、それこそ1発のみで粉微塵に爆砕させることが出来るのだが。それに、力を込めつつ正確な狙いを定めてから引き金を引かないと、銃弾は虚しくそこらのビルの外壁か、アスファルトの地面を爆ぜ抉るだけになってしまう。破壊力を上げた分、反動が強烈なのだ。

ルドラを殺すという選択肢もあるにはあるのだが。あれはどう見てもただの人間、それか戦闘能力の極めて低い人型のデジモン、どちらかだ。それを撃つのは流石に躊躇いがあったし、何よりも生け捕って洗い浚い敵の情報の全てを吐かせる、という後の大きな意味を成す選択肢を潰すこととなる。怪我だけさせて身動き出来なくする、というのはこの銃では非常に難しい。否、それ以前にルドラのことは考えていても仕方ない。問題はベジーモンの方なのだ。よって、初めからこの考えは除外しておく。

 

 

「おらおらぁ、そこぉ!!!つまんねぇだろーがよぉ、もっと楽しませてくれなきゃなぁ?ひゃーっはっはっは!!!」

 

 

「ちっ……!」

 

 

隠れた場所を攻撃された瞬間とともに、深く考えるのは止めた。別の場所に隠れながら、攻撃動作におけるポイントを自分からシールズドラモンへ向けてみる。デジモン種である彼女の方が、戦闘能力は断然高いのだ。

ただ、ルドラが言っていた通り。シールズドラモンの攻撃に、破壊範囲というものは付かない。超硬度に作り込まれた必殺威力のナイフだけを武器とした、近接戦闘。それがシールズドラモンの戦法なのだ。璃麻の今までの戦闘経験から割り出して、彼女の繰り出すナイフの一撃ならば、あのベジーモンを易々と切り裂けるという確信は、ある。しかし、この局面。ベジーモンの、あの威力の攻撃を掻い潜り、接近することが出来るのか。その望みは、絶望的なまでに薄い。

 

 

「このっ!」

 

 

 

シールズドラモンの、上擦った声が聞こえた。

他にあるとすれば。通常のシールズドラモンと違って、璃麻の相棒は光学迷彩を使うことの出来る、少しだけ強化された個体である。だが、その機能がこの場面で役立つ確率は、極めて低い。

ならば、どうすればいいか。

 

 

「……」

 

 

爆発する弾丸。切り裂くナイフ。

この2つの要素を重ね合わせたときには、璃麻はシールズドラモンに合図を送っていた。璃麻は、いきなりルドラ達の視界に躍り出、確実に近づくための方法を、導き出す。

 

 

「おおっ!?はっはっは!!ようやく死ぬ気にな――――」

 

 

「黙れオカメミジンコ」

 

 

銃を取り出した瞬間。ルドラの顔に、驚きが走る。その顔を見た途端に、この銃の威力ではベジーモンを仕留められないと、直感的に感じることが出来た。しかし、璃麻はベジーモンを撃つという気など、一切持ち合わせていない。

狙いは――――足元。

引き金を、引く。激しいマズル・ラッシュが視界を灼き、激しい爆音が雷鳴の様に轟く。そして、放出された小さな弾丸が、地面にぶつかり――――爆炎と爆風と爆熱を引き起こした。

 

 

「なぁぁぁああっ!?うぐっ……かはぁっ!!」

 

 

ルドラの絶叫が響いたかと思えば、激しく咳き込む声。璃麻目掛け、無造作に蔦を振り回そうとしていたベジーモンの動きが、数刻の間だけ――――完全に、停止する。

相手の視界、そして聴覚を完全に殺す。それが、璃麻の狙いだった。それはあまりにも呆気無く、成功したのだった。一瞬だけ意識を手放したが、問題ない。ルドラとベジーモンは……果たして、真上を通り越した飛影に、気づくことが出来たであろうか?璃麻は、不敵な笑みを浮かべる。

 

 

「デス……ビハインド!!」

 

 

その声が聞こえたのは、ベジーモンの真後ろからだった。

そして、肉を裂く音が響き渡る。続けて、ベジーモンの断末魔。ルドラは、何が起こったのかを全く理解していない。その単純な思考回路で理解できる、筈が無い。璃麻の考えは、的中しているかのようだ。やがて、視界が晴れ……ルドラの、驚いた顔が見え始める。

 

 

「んなっ……てめぇ!!!!」

 

 

憤怒の声。それを璃麻は、嘲笑う。

 

 

ベジーモンの腹から、背中に刺されたナイフの切っ先が突き出ていた。血が噴き出し、泡を拭いているベジーモン。その姿は、まるで漫画から飛び出てきたキャラクターのようで、やはり、妙に稽だった。

 

 

「……なめんなぁ!!おらっ、さっさとヤれ、ベジーモン!!このファッキンが!」

 

 

ルドラの怒声が影響したか、ベジーモンはナイフが突き刺さったままの状態で、蔦を乱暴に振り回した。璃麻には当たらなかったものの、ナイフを突き刺し、ベジーモンから離れていたシールズドラモンに、直撃する。ビルの外壁に叩き付けられ、そのまま動かなくなった。

 

 

「シールズドラモン……!ぁっ……」

 

 

璃麻が、シールズドラモンのところまで走ろうとして。

そのまま、かくん、と体勢が崩れ落ちる。激しく咳き込み、血を吐き出した。意識を保つだけで精一杯だ。全くの予想範囲外だった。生命力の高低はともかく、“核(デジコア)”を破壊されて、全く平気だとは。致命的な、誤算が予期せぬ方向から迫り来た結果――――勝機が、一気に遠ざかる。それを考えた途端、体は、うつ伏せに倒れこんでしまう。思うように、体が動かない。

 

 

ナイフを自力で抜いたベジーモン。その、グロテスクに裂けた胸部は、まるで早送り映像のように、数分足らずで完全に塞がった。あまりにも、異常過ぎる光景は。璃麻の、己に対する愚鈍さと悔しさを一気に湧き上がらせていた。

 

 

完全な、油断だ。こんな敵は、今まで一度もお目にかかったことが無い。シールズドラモンで対処しよう、という考えを持った時点で、敗北は決まっていたか。そんなことを今頃になって思ってしまっても、仕方の無いことなのだが。それなりに敵のレベルが判れば――――ダークドラモン、或いはその途中経過に値する、“タンクドラモン”に進化させて、対応することが出来たのだが。今となっては、全てが手遅れだ。

 

 

「手間取らせてくれたなぁ……?俺ぁてめーらをとっととぶっ殺して挽肉にして、ラボラスモンのおっさんがあの雌豚殺さねぇよーに釘刺しに行かなきゃならねーんだからよ。潔く死ねや」

 

 

崩れ落ちた璃麻の頭を靴で踏みながら、ルドラが勝ち誇ったような、嫌らしい笑みを浮かべて見下ろす。璃麻の表情には確かに、悔しさの彩が浮かび上がってはいた。しかし、それよりも気になることがある。

 

 

「釘刺し……だと?」

 

 

そう。今の発言について、だ。

 

 

「あぁん?わかんねーか?そんじゃぁ冥土の土産に教えといてやるよ。あのアマだ、外人みてぇな緑色の目ん玉に黒髪でマナイタみてぇな乳の。犯すのかブッ解体(ぱら)すのかどーすんのか知らねぇけどさー、ウチのお偉いさんが欲しがってんだよ。んま……別に体さえありゃ死んでてもいいらしいんだけどさ……でもそれだとタノシミってもんがねぇだろ?」

 

 

誰に聞かせるでもないかのように、淡々と紡がれて行く言葉。それは、璃麻に深い後悔を与えるには十分すぎる内容となって構成されてゆく。ルドラの狙いは――――美音、か。

シールズドラモンを見やる。彼女の体は今すぐには動きそうに、ない。ダメージが強過ぎたか。色々な“後悔”が重なり合ったためかはどうか走らないが、何とも言えない、しかし決して宜しくない様な感情に、心が染められていく。

 

 

「んじゃ……ここらで終わりにすっかね」

 

 

璃麻の視界の隅で、ベジーモンが蔦を器用に使って自分に近付いてくるのがわかった。焦る精神を落ち着かせながらも、思考は恐ろしい速度で成す術を必死に模索する。しかし、それが望むべき回答を割り出すための決定的な要素とは、成り得ない。

それでも璃麻は、諦めない。

そして、辿り着いた回答が、1つ。

 

 

「あばよ……あの世で恨みやがれな」

 

 

ベジーモンが、思い切り2本の蔦を振り上げる。振り下ろされるその蔦のそれぞれの到達点は――――首と、胸。痛みで動かない体と、頭部を踏み付けられた状態でそれを回避することは不可能。振り下ろされるまでに、何かが起こらなければ璃麻という1つの命が粉砕される。

 

 

辿り着いた、回答。それは――――

 

 

 

 

「……キキャァァァァァ!?!?」

 

 

「なっ……何ぃっ?!!?」

 

 

 

“奇跡”。

 

 

 

 

 

 

断末魔を上げるベジーモンの蔦は、璃麻に届かない。

無理もない。2本の蔦は、鋭利な断面を残して――――後方に、大きく吹き飛んでいた。その結果にルドラは驚愕し、璃麻はきょとんとした顔を浮かべる。そして、その璃麻が望んだ“奇跡”を実現すべく、その場に新たに現れる、2つの存在。

 

 

1つは、漆黒の竜型。蝙蝠の様な翼に、鏃の様に鋭い尾。そして、何よりも紅く、血色に輝く――――その爪、と4つの鋭眼。その姿は、正しく竜そのものであり――――まるで、悪魔の様。

そして、もう1つは――――

 

 

 

 

「救世主見参……っつーのは大袈裟か?」

 

 

少年、だった。

焦げ茶色の髪に、底知れぬ闇を秘めた紅い瞳の、女と見間違えそうな程に整った顔立ち。着ている制服の上からでも分かる華奢な体躯から、その少年が璃麻と同い年程度であろうことが窺える。そして、その腰には――――璃麻と同じく、デジヴァイスを付けていた。

 

 

「ちぃっ!新手かよ!!」

 

 

漆黒の竜、そして少年の登場に、ルドラが驚愕しながらも憤怒の声を上げる。取り乱していたかのように見えたベジーモンの斬れた筈の蔦は、まるで雑草が生えるかのように徐々に徐々に再生していく。

そして、ベジーモンの蔦は完全に元の形へと復元される。すっかり少年に気を取られているルドラの、踏み付けていた足から漸く解放された璃麻は、現状の行く末を――――固唾を飲んで見守っていた。

 

 

「ぶっ殺してやる……ベジーモン!!!!」

 

 

蔦を伸ばして、少年を打ち砕こうとするベジーモン。しかし、少年は――――涼しい顔を浮かべたままだった。

 

 

「デビドラモン、やれ!」

 

 

少年の、鋭く発せられた命令。

それに従うかのように、デビドラモン――――竜型が、素早く動いた。

紅い爪から、まるでネオンの光のように暗い輝きが、発せられる。

 

 

「クリムゾン……ネイルッ!!!」

 

 

「!??」

 

 

獣の咆哮にも似た発動宣言とともに、デビドラモンの爪が閃く。

たったの一振りだけで、ベジーモンの蔦を半ばから2本纏めて易々と切り裂く。そのまま、デビドラモンはベジーモンの本体に接近し、もう一方の腕を振り上げる。次の瞬間には、二振り目が――――

 

 

ベジーモンの頭部を、綺麗に打ち飛ばしていた。

 

 

「なっ……なぁ―――?!?!」

 

 

ルドラの驚愕した声が、静かに響き渡る。

上顎という番を無くした下顎からは青色の血が噴出し、細い舌がだらんと垂れ下がる。

余りにも圧倒的な、デビドラモンの必殺の爪撃。それを見た璃麻は、心底驚いた表情を浮かべていた。

 

 

「キ……キャ、キキャキャ……」

 

 

ベジーモンが、下顎だけで奇声を発する。そんなベジーモンを見たルドラは、舌打ちをし、踵を返したかと思うと全力で走り始める。それが意味するものは、恐らく――――『撤退』。

ある程度距離を取ったところで、ルドラが振り返る。それと同時、未だに両腕と頭部を失ったままのベジーモンの体が、まるでバーチャル映像でも見ているかのように、一瞬の内に消え去った。

ルドラが、怪訝そうな顔をしながら声を上げる。

 

 

「今日は大人しく退いてやる……ったく、何者だよてめぇは!」

 

 

「何者、っつわれてもな……。俺は――――滝村琉芽(たきむら りゅうが)っつーんだ。覚えてぇなら覚えとけよ」

 

 

少年――――琉芽が、答える。

それを聞いたルドラは忌々しげに路上に唾を吐き、琉芽に中指を突きたててから全速力で逃げ去っていった。

 

 

琉芽は、それを最後まで見送ることもなく、倒れたままの璃麻の元へと歩む。そして1つ溜息を吐くと、璃麻の体をゆっくりと抱き起こした。璃麻は暫く呆けた表情を浮かべていたが、やがて、焦りを浮かべながら、必死に何かを喋り始める。

 

 

「みお……ちゃっ、が……けほっ、ビルの、上……」

 

 

必死な璃麻の訴えかけは琉芽に通用したらしい。

琉芽は一瞬だけ、きょとんとした顔をするが。次の瞬間には、優しげな微笑を浮かべていた。

 

 

「大丈夫……コマンドラモンが色々と連絡してくれてな……美音って子は陽太さんが助けたよ」

 

 

璃麻が、安心しきった顔を作りながら目を閉じ、体中の力を抜いた。数秒後には、安らかな寝息を立て始める。相当疲れ、そして緊張し切っていたのであろう。その寝顔は、疲弊と安堵の入り混じった、少女らしいモノだった。

 

 

「ったく……無茶ばっかりするよな、お前って」

 

 

琉芽は、璃麻を背負い、立ち上がる。少し離れたところで、琉芽と同じようにデビドラモンが気を失ったままのシールズドラモンを抱えていた。それを確認した琉芽は、デビドラモンの背の上に座り込んだ。

 

 

「運んでくれ。このまんまじゃ拙いだろ?」

 

 

「……ああ」

 

 

デビドラモンが、こくりと頷く。

そして、背後の翼を羽撃かせたかと思えば、一気にその場から飛翔する。思い出したかのように、直前まで居た場所で塵埃が吹き荒れた。瓦礫の山に、それらが薄く降り注ぐ。

 

 

空にはすっかり、星が綺羅綺羅と見え始めていた。

 

 

 

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