「頑張って、七奈ちゃん!」

 


昨日の戦闘の記憶が、いざ今日学校へ出向いてみると本当に現実味の無い、曖昧な光景となってしまった。

それでもやっぱり、腕と頬はしっかりと怪我をしていたし、痛みだってまだ続いている。腕にはガーゼの上から包帯を巻いて、頬には絆創膏をぺたんと貼り付けた。体操着とブルマは、この時期には少々寒い。傷口に、寒さがしんみりと染みているみたいに思える。

 

 

「こ…………のぉお!!!」

 

 

結局のところ、Bグレイモンはあの後すぐに、元のBアグモンの姿に“退化”してしまった。退化した後のBアグモンは傷が多く、私はその場で般若心経を一読してボアモンに喰われてしまった人へ黙祷を捧げながら、Bアグモンの手を握って一緒に家まで真っ直ぐ帰った。家までの距離が、とても長いようで……とても短く感じられた。

 

 

「打たれたっ……?!センター……美音っ!」

 

 

Bアグモンは別に良い、と言っていたけど。彼の身体にも手当てをしてあげた。Bアグモンは、照れくさそうにお礼を言ってくれて……何だか、可愛らしく感じた。戦闘時とはまるで雰囲気が違って……少しだけ、戸惑ったりもしたのだけれど。そんなことは、どうでもいいんだと思う。

 

 

「美音っ!ボールッ、ボール来てるって……!!」

 

 

こんな生活が続くのであろうか。だとしたら、少しだけ考えてしまうものがある。とりあえずは……少しでも様子を見なくては解らないものか。ふむ、考えても仕方が無い、か。

そう思っていたら、額に大きな衝撃が襲ってきた。

 

 

「っ………?!?!?!」

 

 

何が起こったのかは分からないが、襲ってきた痛みは激痛なんてものじゃない。寧ろ、骨を砕かれた様な……激痛を超えた激痛。意識が遠くなる。駄目だ、私はどうやらこの辺でお終いの様だ。今考えてみれば、長いようで短い人生だったと思う。

 

 

「ちょっ……美音っ、美音っ?!!?」

 

 

「せっ、先生!蘭咲さんが!!」

 

 

「早く保健室へ運びなさい!」

 

 

皆の騒ぎ声を背景曲に、私は安らかな眠りに着いた。

…………とまぁ、此処でこんな展開で死ねたらどんなに楽だったであろうか(死ねるわけないが)。兎にも角にも、今更ながらに“今は2時間目の体育で『ソフトボール』の時間”であるということに気付く、ダメな私であった。

 

 

 

 

Re/call 〜Emerald

   第伍話 『結成者』

 

 

 

 

「美音……ここのところ変だよ?大丈夫?」

 

 

保健室で眼を醒ました頃には、既に昼休みになっていた。氷水を入れたポリ袋を額に当てながら、私はベッドで寝かされていた。付き添いらしい悠玖が、心配そうに私の顔を覗きこんでいた。服装が体育着のままであるのを見ると、恐らくはずっと付き添っていてくれたのであろう。目頭を手で覆いながら、私はぼんやりとした回答をする。

 

 

「ここ数日……未知の体験を幾つか経験しました。最悪の場合、命にも関るであろう体験です。統計的判断によるものですが、私自身に何かしらの影響が出てもおかしくは無いと思います」

 

 

「それ……じょーだん、だよねっ……?………って聞いてもホントなんだよね……美音の場合はっ……」

 

 

悠玖が、尚更心配そうに……そっと、私の頬に手を乗せてきた。悠玖の暖かな掌の温盛が、絆創膏の上からそっと傷口に伝わる。痛みは無い。ただ……暖かかった。安心できる、温盛。きっと……人を安らげたり、癒したり、救ったりする温盛とは……こういうものなんだと思う。

 

 

「そりゃぁさ、美音はいいかもしれないんだけどっ……心配するあたしの身にもなってよね……!」

 

 

私は、黙って頷いた。良い友達を持ったと思う。

そのことに感謝しながら、私は帰りの会まで保健室で寝転がっていた。保健室を出る頃には、額の痛みも治まりつつあった。悠玖の見せた心配そうな表情が、焼きついて離れない。

 

 

 

 

《放課後》

 

 

 

 

席に着き帰り支度をしていると、ふと声を掛けられた。

 

 

「………美音ちゃん………」

 

 

声の主は、今現在隣の席に座っている……御巫月愛(みかなぎ るちあ)さんだった。背はわりかし低く、蒼い目に黒いミドルロングヘアーの、いつも何かに怯えたような表情をしている子だ。家の事情か何か解らないが彼女は欠席数が非常に多く、彼女が学校に来ていること自体、かなり珍しい。そんな彼女は、何枚かのプリントを私に差し出してきた。

 

 

「これ………」

 

 

プリントの内容は……国語のプリント3枚に、理科のまとめプリント、丸付けされたテストの答案用紙だった。成る程、保健室にいる間にでも授業で配られたのであろう。答案用紙には点数枠に赤ペンで“100”の数字が書かれ、そのすぐ下に“よく出来ました”の判子が押されていた。

 

 

「ありがとうございます、御巫さん」

 

 

彼女に接する時、私は何時も笑顔を作る。彼女は何時も、何かに怯えている。だから私は、彼女に怯えられないように、笑顔を作る。考えずとも解る、とても簡単な人との触れ合い方だ。

 

そんな中、彼女にふと違和感を覚える。

それが何なのかは解らないが……いつもとは違う(と言っても彼女が来る日は少ないが)、何か宜しくない違和感。吐き気こそ込み上げないが、ゾワゾワするような……嫌な空気だ。

 

 

「……っ……」

 

 

御巫さんはまた―――怯えた顔を作る。

迂闊だ、疑問(というよりは疑い、か)が顔に出てしまっていたか。私は慌てて、立ち上がってその場から逃げ去ろうとする御巫さんの肩に触れる。彼女は首を必死に横に振りながら、私の手を払って教室から抜け出て行ってしまった。

その様子を悠玖が見ていたらしく、他の女子達との会話から抜け出て……私に近づいてきた。正直言って、今の私は物凄く落ち込んでいるのだと思う。自分で解らない、というのもおかしな話ではあるが。

 

 

「気にしちゃだめだよ……御巫さん、いっつもあんな感じだから……。どーすればいいの……、かな……」

 

 

悠玖の顔は、とても寂しそうで、とても不安げだった。

気を取り直して。私は悠玖に簡素に相槌を打ってから、筆箱と財布だけが入った鞄を引っさげて、教室を出た。悠玖と一緒に帰りたいところだが、彼女は代表委員会で遅くなる。仕方なしに、一人で帰ることにした。

 

 

靴棚で靴を履き替えるときに、漸く御巫さんに感じた違和感の正体がハッキリとわかってきた。

彼女から発せられていた臭い、だ。不潔感を装う臭いと、清潔感を装う匂い。人間は臭いに対して大体はこのどちらかに分かれてしまうわけなのだが。彼女から発せられていた臭いは、そのどちらでもない例外的なものだった。

 

 

圧倒的なまでの……“血”の臭い、だ。

 

 

 

《暮時》

 

 

 

 

帰路に就いている時の事だった。

偶然通りかかった他クラスの女子3人が、早足で私を追い越しながらはしゃいでいる様に喋っていた。

 

 

「この先!坂崎先輩が来てるんだって!」

 

 

「どーしよぉ……握手してもらえるかな?!」

 

 

……璃麻さん、か。昨日見た彼女の明るい笑顔を思い浮かべて、私は少しだけ苦笑してしまった。

あの人―――――坂崎璃麻先輩と言えば、学校でも男女問わず、すごく人気のある人だった。明るくて人助けが大好きな性格に加え、学力も運動神経も抜群。何処にでも居そうで、中々居ないタイプなのであろう。

 

 

数分歩いていると、案の定……璃麻さんは居た。

5,6年を中心とした7〜8人の男子女子に囲まれている。璃麻さんはその目映い笑顔を休むことなく全員に向けていた。成る程。あれが人気の秘訣か。よく勉強しているものだ。

 

 

暫くその光景を立ち止まってぼんやりと眺めていたら、たまたまではあるが莉麻さんと目があった。それだけかと思っていたが、璃麻さんは顎をくい、と逸らして合図を送ってきた。璃麻さん独特の合図方法である。意味合いとしては、『先に行っていろ』。その動作は傍から見ると違和感が無いらしく、誰も私に気付いていない。私は、剣指で合図を送り返した。『了解』の意味。璃麻さんも剣指で私に合図を送り返したのを視認してから、私はまた歩き出した。それにしても……よくモテる人だな。

 

 

そう遠くないところにあった書店にて時間を潰す。

本棚を見て、どれを買おうか考えるのは好きだ。以前までは宮沢賢治の小説を読み続けていたが、全て読破してしまった今は、主に“伝記”や“オカルト”と呼ばれる分野の本を中心に読み続けている。

 

 

数分探っていたが、その内に『皇帝ネロ』、『ソロモンの小鍵』という二冊の本に惹かれる。前者は古代羅馬国を支配した暴君と呼ばれる皇帝のお話で、後者は72種類の悪魔の召喚方について書かれた、云わば“魔導書”たる類。Bアグモンにも読み聞かせられるだろうか、と思いながら……レジまで持って行き、枝折カードのオマケ付きで、無事に購入できた。

 

 

「うっわぁ……また随分と難しい本買うんですね……」

 

 

背後から聞こえたその声に、私はある種の確信を抱いて振り向く。確信したとおり、その人はそこに居た。そして、本に関しては難しいと言う訳ではない。人間と言うのは常に新たなことに挑戦したがる生き物の一種である。つまり、とある本を読破したのなら、もう一段階上の本が読みたくなるのと同じで。難しいと思うのは、単に読書時間が不足しているだけだ。

いや、それはそれとして。今考えるのは止めよう。

 

 

「ごめんなさぁい、引きとめちゃってぇ……」

 

 

目の前に居る璃麻さん。相変わらず、能天気そうなにはにはとした笑顔を浮かべている。私は、『こっちですよぉ』と先を歩く璃麻さんに合わせて、しっかりと後に続いた。店を出る時、店員さんの「有難う御座いました。」という業務的な声色が聞こえたような気がした。

 

 

 

 

《夕闇》

 

 

 

 

「ここですよぉ……っと」

 

 

「……ここは…………」

 

 

私達がやってきたのは……罅割れたビルや、所々窓ガラスの割れた家屋等の廃虚の立ち並ぶ、生活感がごっそりと奪われた……云わば“廃墟郡”と呼ぶに相応しい場所だ。とあるビルの外についている錆びた螺旋階段を上り、屋上に出る璃麻さん。当然の如く、私も屋上に出る。

見上げると、空は……赤い。夕日よりも、なお赤くて……紅い。逢魔ヶ刻、か。私は、血の様に紅い空を見上げながら、静か過ぎるその場所で……霊感、所謂第六感を働かせる。

 

 

“最初から感じていた”のは、僅かな違和感だった。

この違和感は……間違いなく、異形……“デジモン”と遭遇する時に感じる、違和感。それさえ解ってしまえば……後は楽だ。背筋に寒気が襲って来、体中が潰れたり引き千切られたり捻じ込まれたりする、奇妙な感覚に囚われる。

3度目ともなれば、流石に慣れるものがある。深呼吸を一回しただけで、平常な感覚を取り戻すことが出来た。

 

 

「……すごいですね。予想以上。」

 

 

ふと。

璃麻さんが、私を見ながら……ぽそり、と洩らした。街中では雑音によって消されてしまう様な声量だったが、この場所には……一切の音が無い。風さえ吹いていなければ、虫や野良猫の鳴く声も聞こえない。一切の“聴”を断絶したかのように、静かなのだ。聞き逃すはずが無い。

私は、璃麻さんを睨んだ。恨みとか憎しみとか怒りは一切無い。ただ、睨んだだけだ。璃麻さんは私の顔を見て、まるで解り切っているかのように不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「今感じる“敵”……。強さとしては……完全体の上位級。みおちゃんにも解り易く説明しちゃえば、完全体って言うのはBグレイモンの更に進化した段階に入りますね。」

 

 

「なっ…………」

 

 

流石に驚きを隠せなかった。この人は……昨日の私達の戦闘を、知っている。いや、それ以前の問題か。

 

 

“デジモン”を、知っている。

 

 

「さぁってと!気配隠してないでノコノコ出てくればどうですかぁ?上手く隠れたつもりでも……僕達にはモロ解りなんですよ――――カラテンモン、さん?」

 

 

「…………おのれ」

 

 

返事の声は、向かい側のビルの屋上から。初老の男のような声が、響き渡る。それも、大声ではない……まるで、耳元に囁きかけられたような……考え込むと、距離感の掴めない声。

 

 

いつの間にか、そこには一体の“敵”が居た。

最初の“敵”の印象は……烏天狗、だった。

鳥類独特の、3本爪の両腕両脚に黒い翼、そして大きな嘴の付いた仮面。そして、一番目立つのが……両腕に持った剣。修験者のような格好。まさに烏天狗、そのものだった。

 

 

「…………成る程…………」

 

 

思わず出してしまった独り言に、自分でも苦笑してしまった。“烏天狗”だから“カラ”“テン”モンか。何て解り易い喩えか。カラテンモンは、その漆黒の翼をはためかせて……私達の上空まで移動した。

カラテンモンの存在を視認してから気付いたのは、人間の……微かな血の臭いだ。デジモンは、人間を捕食することで理性を取り戻す。と言うことは、簡単に結論付ければこのデジモンも……人間を、捕食した。そういうことになるのであろう。

 

 

「主等もまた……我が血肉と為り得るがいい」

 

 

上空でカラテンモンが……2本の剣を交差させて構える。そのまま振るえば袈裟、逆袈裟の斬りを同時に行うことになるであろう構え。私は思わず身震いしてしまったが、璃麻さんは……不敵な笑みを、少しも変えようとしない。

 

 

「塵逝くが良い……いざ、覚悟――――」

 

 

カラテンモンが、空中で一回転して勢いを付け……私達目掛け、強襲して来る。解ってはいるのに、身体は少しも動いてくれない。私は――――“自分が死ぬ”という未来を視てしまい……思わず、眼を瞑った。

 

 

Bアグモンは居ない。家でお留守番をしてもらっているから。

私は……戦う術など持ち合わせていない。非力な人間。弱弱しい生き物。狩られるための、餌。餌は、狩られるためにあるから餌なのだ。餌は私。私は――――――狩られる?

 

 

時間が、ゆっくりと流れるような感覚。カラテンモンが風を裂いて、こちらに近づいて来る。音だけでも、解るものなのだ。死に向かって進む私の命。音は、ゆっくりとゆっくりと……私を殺そうと、近づいて来る。

もう駄目だ、と本気で思った。

そんな中で、不意に―――――

 

 

「…………コマンド選択、スキル」

 

 

…………聞こえてきた、璃麻さんの声は。

何時もからは連想できないほど、冷酷で……残酷で……ただただ、敵を突き刺すかのように放たれたその鋭刃のような言葉は、カラテンモンに言い放ったわけではないようだ。

私は――――瞼を、ゆっくりと開く。

 

 

カラテンモンよりも、更に上空。一体の、デジモンが空中に留まっていた。そのデジモンを見た瞬間……私は一瞬だけ、心臓が止まるかのような……今まで以上に無い、“危機感”を抱いた。

 

 

 

 

青白く輝く翼を生やし、紺色の装甲を身に纏い……右腕に装備された“槍”を地上……カラテンモンに向けたまま、静止している……鋼鉄の“竜”型。槍は、激しい電撃を帯びていて……見るだけで、眸がチカチカする。

 

 

 

―――――逃げろ。

 

 

本能が、私の身体に呼びかける。

しかし、身体は動けずに止まったままだ。逃げられない。狩られる。逃げろ。動けない。逃げられない。脳裏に、何度も何度もそんな言葉がぐるぐるぐるぐると駆け回る。もどかしい。気持ち悪い。

 

 

「…………!?」

 

 

カラテンモンに至っては―――――動かない。その仮面に覆われているはずの顔は、明らかに驚愕と恐怖の彩に染まり、歪んでいる。その槍に纏う雷は、カラテンモンの漆黒の翼をも眩く照らしていた。

 

 

制裁者。

 

 

あの鋼鉄の竜には……そんな言葉が、似合う。

戦慄。私は――――そうか、“怯えて”いるのか。

 

 

璃麻さんが、言葉を紡ぐ。

冷酷無比な……処刑の言葉を。

 

 

 

「ダークドラモン。スキル発動」

 

 

「ダークロア!!」

 

 

不意に開いた、竜の顎から紡がれた声色は……女性の声、だった。カラテンモンは、動けない。私も―――動くことは愚か、動かそうと思うことすら出来なかった。

 

 

「みおちゃんに、少しお願いがありまして。」

 

 

璃麻さんは……目の前の戦慄的な光景を、まるで気にも留めないかのように私に話しかける。私は、聞いてはいるものの……璃麻さんの方向を向くことは出来ない。目の前の光景から、目が離せない。

 

 

竜型の右腕の槍から、凄まじい電撃が収縮され……光線が放たれる。細い細い、糸のように細い光線は、紅く輝きながら……動けないカラテンモンの胴体を、易々と貫いた。そのまま光線は、向かい側のビルの……丁度、玄関辺りにあたる。

 

 

瞬間、光線の当たった場所から……閃光が溢れ出す。カラテンモンの体が、まるで赤熱する金属のように……真っ赤に輝く。光は、私の視界を一瞬、完全に包み込んで。

 

 

爆発、した。

 

 

ビル自体が爆焔に包まれ、まるで火柱でも上がるかのように炎上し始める。カラテンモンの身体は、爆発して……跡形も無く、消滅した。爆風が……私達に、激しく吹いてくる。吹き飛ばされはしなかったものの……熱を帯びた風は、とても熱かった。

 

 

やがて爆風がそよ風程度にまで弱まったところで……璃麻さんが、また言葉を紡いだ。轟々と燃え上がる炎の音を割いて、璃麻さんの声は……よく、聞こえた。

 

 

「僕と一緒に……組んで、戦いません?」

 

 

その貌に浮かんだ不適な笑みは。

爆焔と、竜型を背景にして……

 

 

危険な香りを、漂わせていた。

 

 


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